ニューヨークという街は、確かに特殊だが、ローカリティと無縁な訳ではない。
むしろ、ニューヨーク・ローカルなものというのがあり、その中に、国際色だったり人種のるつぼだったり、マンハッタンの碁盤の目に整備された都市計画だったりがある。
なにより、NYの歴史の浅さというのは、行ってみて痛感したが、ひしひしと伝わってくる。そこかしこで工事をしているのだが、その光景が尋常ではない。一つのビルをどけたら、そこから荒涼とした大地が顔を見せる。「層」がないのである。
ひとつ剥がしたら、むき出しの生の土地が姿を見せる。あるべきはずの歴史や、時間はその間に層として存在せず、タイムスリップしたように、我々は原始を街中で目撃するのだ。
それはある種衝撃的な体験であり、逆にNYにとっては当たり前の光景である。
17世紀以降、つまりオランダ人が入植してきてから、マンハッタンの歴史は始まる。逆に言えば、それまで、つまりプレ・コロンブスの時代には、荒涼とした大地がそこにあり続け、「ヨーロッパ的なもの」は何もなかったのだ。
あらゆる作業、都市計画、運河の建設が、人工的に行われ、人工的にマンハッタンは「都市」となった。そこにはたいした理由などない。ただ、マンハッタンが使い勝手の良い天然港で、商売に適していたからだけの話だ。何も高尚な理由はない。その即物性は、今もなおマンハッタンの独自性として、生き生きと感じとれる。
その都市で、アートという高尚なものが、なぜ発達したのか。そして、今やアートの世界の中心はNYであると言われるまでになったのか。
つくづく、着いた頃は疑問であった。そこには豊かな歴史もなければ、壮大な風景もなく、ただ金が動いているのみであったからである。
しかし、その秘密は二三日とギャラリーを渡り歩いているうちに、明確になってきた。
金が動いているから、アートがあるのである。アートが取引される場、それがマンハッタンなのである。
そして、「アートが取引される場」を支える、あらゆるものがNYには揃っている。
ギャラリーだけでも、大手ギャラリー、中堅ギャラリー、小規模ギャラリー、それぞれ取り扱う品もそれぞれである。
アーティストも、多くはNYに在住しているが、アーティストの卵たちは、NYでもマンハッタンではなく、電車で10分ほどのブルックリンに大きなアパートを借りて集団で住んでいたりする。マンハッタンにも、多くのアーティストのスタジオがあるアパートがある。
彼らは独自のコミュニティを持ち、出自は違えど、アーティストという職業を夢見て、異国もしくはアメリカの地方から出て来ている。
そして、彼らの行動範囲は極めて狭く、マンハッタンかその周辺で、だいたい全てのことが済まされてしまう。
簡単に言うと便利なのである。
アートを行う上で、便利な場所。それがNYであり、それ以上でもそれ以下でもない。
そして、プロ・サッカークラブには、優秀な下部組織があるように、全てが重層的に構築されている。
チェルシーのギャラリーは、洗練されたものが多いが、ブルックリンのものは洗練されているとは言えない。ただ、ブルックリンには、チェルシーにはない型にはまらない自由さがまだ存在し、それはそれで面白い場所である。
ブルックリンのスタジオでの展示を見せてもらったが、自分がいる多摩美の学生展示と、何らレベル的にも変わらない。おそらく、ブルックリンにいるアーティスト達の、ほんのごく一部しか、職業としてのアーティストを続けることはできず、泡のように消えていくのだろうな、と感じざるを得なかった。まるで、日本の美大のようだな、と思ったのを覚えている。NYに住んだからといって、それが成功を保証する訳ではない。そこで勝ち残らなければならない。
勝ち残ったわずかな人が、チェルシーやロワーイーストのギャラリーで展示することができる。さらに、そのごくごくわずかな人が、MoMaやグッゲンハイムやNew Museum で展示できるのだろう。
ただ、ブルックリンいるアーティストの多くは非常に社交的で、親しみやすい。色々と作品について説明してくれるし、展示なども紹介してくれる。弱者ゆえの、と言ったら失礼だろうが、コネクションを大切にし、お互い補い合って生活していく共同体的生活と、共同体的性格がそこには見受けられる。
日本をふと思い返して見れば、その空気はブルックリンのそれによく似ている。批評はそこには存在せず、自由に何かを創造する喜びが生き生きと溢れている。しかし、その先に未来は約束されてはいない。刹那的とも言える、そのコミュニティが持つ底抜けの明るさは、重厚で洗練されたチャルシーとはほど良い対比を成す。
だが、よく考えれば日本にはチェルシーに当たるものがない。つまり、下部組織は在っても、上部の洗練された組織はないのである。下部組織だけの国。それがアートにおける日本の立ち位置なのかもしれない。
これは別に日本を批判しているわけではない。ブルックリン対チェルシー(マンハッタン)のような構造がアートに必要かどうかは、私には分からない。少なくとも、NYはそのような構造を持ち、それによってアート・シーンが機能しているというだけだ。
ただ、機能するには、このような重層的構造が必要なのは確かである。
機能したいか、どうか。これは、日本のアート・シーンの重要な命題である。私はかねがね思っているのだが、日本のアート・シーンは「機能」したくないのではないか、と考えている。あえて、機能しないのだ。だから、構造も作らない。何か、機能の前提となる、組織階層や構造を持つのを、あえて避けているように感じられる。それがなにかしらの日本の風土と、無意識的にしろ、結びついているような気がしてならない。
だから、単純に日本とNYでどちらが良いとか悪いとか言うつもりは全くない。それぞれのローカリティがあり、簡単に言えることではない。
NYに話を戻そう。
NYの街で、最も特徴的なのはその色彩である。レンガと土の茶色。ほとんどがその色彩に覆われている。
ロバート・ラウシャンバーグやジャスパー・ジョーンズ、ジャクソン・ポロックらは、なぜ共通して茶褐色を好んで用いるのだろうと、私は日本で画集をみるたびに疑問に思っていたのだが、NYに着いた瞬間、その謎は解けた。場所がその色をしている。ただ、それだけであった。
同様のことが、ほかのアーティストにも言える。リチャード・セラの素晴らしい展示がチャルシーのDavid Zwirnerギャラリーで大々的に開かれていたが
(参照:http://www.nytimes.com/2013/04/19/arts/design/richard-serra-early-work-at-david-zwirner.html)、
セラの色彩、そして素材である鉄は、まさにその土地で採れたもの。つまり、NYのローカルな性質から由来している。その土地で採れた野菜のようなものである。
そして、スケール感。NYのほとんどのギャラリーが、ほぼ同じスケール感に基づいて展示をしている。これは驚くべきことである。
しかし、それは事実である。NY独自のスケール感というものがあるのだ。
セラにしろ、「巨大」と言われる作品も、NYのスケールに従ったものに過ぎない。とにかく、チェルシーのギャラリーは天井が高く、スペースに対する感覚は日本の感覚とは全く違う。
そこにある作品も、ギャラリーのスペースに呼応するように、独自のスケールで創られている。これは、NYで展示しているアーティストでないと分からない感覚だろう。その土地独自のスケール感というものがあり、それは土地によって全然違うのだ。
また、日本のスケール感が小さいから劣るとかそういう話でもない。単純に「全然違う」のだ。
日本の美術批評の一部は、NYのスケール感を世界基準とし、それを理解できない日本人を劣っているかのように認識しているような気もするが、それは全く間違っている。
例えば、セラの彫刻を、そのまま日本の美術館やギャラリーで展示したところで、その良さは正確に日本人に伝わるはずはない。セラはNY(もしくはアメリカ)独自のスケール感に影響され、それに忠実に作品を創っているだけで、受け取る側もNYのスケール感を無意識の内に身につけているから、身体的に理解できる。
しかし、日本に生まれ育ち、日本のスケール感を会得している者は、セラのスケール感を容易に理解はできないだろう。それで当然だし、それに何か問題がある訳でもない。
その場所固有のスケール感があり、それが思想、思考にも影響を及ぼす。それは、アートでなくとも、物事の認識の仕方に直結する。ただ、それだけのことである。
一種の英才教育のように、欧米のアートを理解することが教養のように、日本で思われているとしたら、それはスケールに対する誤解だ。理解できないものは理解できない。
ただし、理解できないということを、理解することはできる。美術教育があり得るとしたら、その理解不能性を教えるべきであろう。「理解できないからダメだ、世界に遅れている」と日本人が西洋の美術を見て感じるとしたら、それは単なる勘違いであり、無教養ではなく、スケールの差異に対する無自覚に過ぎない。
抽象表現主義以降のアメリカのアートは、アメリカのスケール感の上に成り立っている。美術を知ることとは、形式を真似することではなく、土地によるスケールの違いを認識した上で、そこの土地独自のスケール感を感じた上で、美術を鑑賞することである。
グッゲンハイムで「具体」展を行っていたが、具体の失敗は、そのスケール感の差異を見破れず、形式のみを直に輸入しようとした点にある。結果として、非常に奇妙な感覚の作品が出て来たので、それはそれで面白いが、やはりそれは大きな誤解の上に基づいていたことは事実であると思う。具体に宿る美しさとは、大きすぎる誤解の上に築き上げられた、とてつもなく大きな努力であり、それは陳腐な言葉で言えば無謀さと無防備さを伴ったイノセントな青春であろう。そのナイーブさは、一度、見事なまでに破壊された日本という国独自の、盛大な勘違いであり、その勘違いが膨大なエネルギーを持った時、それは西洋美術を相対化し得るほどのパワーを持つ。
ただ、それらは作品としての強度は持たない。あくまで借り物の形式をなぞっただけだからだ。しかし、パワーは持つ。「青春」という無鉄砲なエネルギーと対になって語られる言葉は具体に最もふさわしい。しかし、「青春」ほど美術に似つかわしくない言葉であるのも事実だ。私は、日本の「青春」である具体を見て、胸を引き裂かれるような感傷を覚えたと同時に、あまりの作品の脆弱さに心が痛むのを感じた。
さて、もう少し、細分化してみていこう。
スケールの問題について、これまで語ってきたが、これも、マンハッタンと郊外では微妙に異なる。
マンハッタンは、完全に独自のスケールに従っている。
しかし、マンハッタンから電車で一時間半ほど東に行ったところにある、ディア・ベーコンという郊外の巨大な美術館を訪れたが、そこで見たミニマリズムの作家たち、サイト・スペシフィックの作家たち、どれもがマンハッタンで得ていたような、その力を完全に失っていた。
(参照:Dia beacon 常設展 (http://www.diaart.org/sites/longtermview/1))
セラ、ロバート・スミッソン、マイケル・ハイザーらは、ディア・ベーコンという郊外の美術館では作品が持つ力の半分も発揮できていなかったように思う。なぜかと言うと、作品そのものが持つ「異物感」がディア・ベーコンでは感じ取れなかったからだ。その理由は、周囲のあまりに美しい自然と、広大すぎる美術館の敷地にある。
セラは、「鉄」という人間とは本来、相容れないものを提示し、しかも作品を固定せずに作品が独自で立っている(つまり、支えがない)ため、スペースの中の鉄はその異物感を存分に発揮する。しかし、ディア・ベーコンは、あまりにスペースが広大で、セラの異物感すらも包み込んでしまう、包容力があるのだ。
同様のことが、スミッソン、ダン・フラヴィンなどにも言える。スミッソンは、健闘はしていたが、彼の作品の持つ、自然への人間の異物としてのアプローチが、異物感として頭に入ってこない。置物のように展示されたスミッソンの作品は、ミニチュア模型のように、大人しい。スミッソンの限界というわけではないが、本来持ち得るスケール感が打ち消されてしまっている。
セラの展示をマンハッタンで見た時には非常に良かったことを考えると、スミッソンも、屋外やもっと狭いスペース、つまりスケール感のふさわしい所で見ると全然違うだろう。
マンハッタンのスケール感とは、このように非常に特殊であると同時に、外に出た途端に威力を失うような繊細さも持っているのかもしれない。
そして、意外だったのが、ディア・ベーコンで、唯一と言って良いほど良かったのが、
共にドイツの作家だが、ゲルハルト・リヒターと、ヨゼフ・ボイスであった。彼らの内省的なアプローチは、ディア・ベーコンの広大なスペースにも全く干渉されず、直に胸に届いた。
ここで、アメリカ美術の一つの、強力な弱点が露呈したように思われる。
70年代以降のアメリカ美術(特にミニマリズムの巨匠と言われる作家など)は、そのアメリカ特有のスケールに依存しすぎている。そして、内省的な要素があまりに省かれ、即物的になり過ぎている。身体に、直接的にスケール感をぶつけることには長けているが、いざ、そのスケール感を発揮できないと、ただのデカイものになってしまう。もしくは、自然物に埋もれ、見過ごされるようなものになってしまう。異物感を発揮するには、それにふさわしいスケールが必要で、そのスケールにはそれ相応のスペースが必要なのだ。
そして、それ相応のスペースを用意されなかった時、作品はその無能さを露呈するのだ。
その点、ヨーロッパ美術、特に先に挙げた、リヒター、ボイスなどの歴史を深く踏まえたものは、どのスケールにも対応可能であるかもしれない。それは非常に心理的なものだからである。そして、どのスペースのおいても、どの状況でも心理的効果を発揮する。
大雑把に言って、戦後のNY美術は、そのスケール感と、ある種の無敵感、そして素朴な自然との対峙によって形づくられてきた。それはヨーロッパが深く内省的な穴に落ちたのと、好対照を成した。あまりに内省的に過ぎたヨーロッパは、その活力を第一次対戦以降失い、その代わりにアメリカは活力を日増しに増していった。
その結果が、ヨーロッパに対する、戦後アメリカ美術の隆盛に深く影響していることは自明だ。
ただ、そこで、あまりにスケール感に頼りすぎたNY中心のアメリカ美術は、巨大化し、即物化した結果、その芸術的幅を狭めてしまったように感じる。その結果が、私の私見ではあるが、ディア・ベーコンにおける、アメリカ美術の、リヒターとボイスに対する完璧な敗北に、その一端を見せていたような気がする。
しかし、ある美術の形式が万能で無い事は当たり前だ。NY美術も、その姿を常に変えつつあり現在に至る。ミニマリズムも、サイト・スペシフィックも、いわば過去の美術の動向であり、現在は全く違った形で展開されている。
それはおそらく、空白の70年代から80年代に由来するだろう。NY美術は、ミニマリズム、サイト・スペシフィック(ランド・アート)、ポップアート、それぞれが抽象表現主義の後に現れては、一端、消滅する。そして、再びNYは世界の中心に帰り咲くのだが、それは90年代に入り、「本当のコンテンポラリー・アート」が実現してからだ。それまで数十年間の、NYの美術は、一端、死に、過去の功績の上でのみ成り立っていたと思われる。
しかし、NYは復活する。それはもはや、スペースの持つスケール感に頼るものではなかった。それは、もっとコンセプチュアルでポリティカル(政治的)なものであった。
NYは「コンテンポラリーとは何か」ということについて、正面から向き合う。それが90年代以降である。そして、それによって今日に続く、アートにおける世界の中心の場を確立する。
おそらく、NYは今後、数十年はアートにおいて世界の中心で居続けるだろう。それは、そこにコンテポラリー・アートがあるからだ。決して、大きなアメリカ型のスタイルが万能だからではない。先に述べたように、スケールは国や土地によって違い、決して万能なものではない。普遍性を持たない。パワーバランスが崩れれば、最もパワーを持った国のスケール感が、世界の基準となる。そして、現在、よく言われるグローバリゼーションの中、一つの国のスケールによってアートの価値判断が行われることはない。
先にNYのチャルシーのギャラリーはある一つのスケール感に統一されていると述べたが、そのスケール感は、単純にアメリカの土地から生み出されたというものだけでは、もはやない。もっと折衷的なものである。世界中の国々が集まり、混合し、その結果生み出された特殊なスケール感である。非常に複雑なものが作用して、チェルシーのスケール感は存在する。よって、チェルシーに代表されるマンハッタンのスケール感は、完全に独自の発展を遂げている。そして、今、そのスケール感が世界の標準である。念の為に言っておくと、「アメリカのスケール感」が世界の基準なのではない。「マンハッタンのスケール感」が世界の基準なのである。これはとても重要なことのように思われる。
マンハッタンは美術において、それほど特殊な場所なのだ。おそらく、マンハッタンは、アメリカにとっても非常に特殊な場所であるだろう。
そして、マンハッタンの現在の特殊性を支えているのは、そのコンテンポラリー性である。
このNYコンテンポラリーアートを最も良く示すのは、現在、NYニューミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アートで行われている"NYC 1993:Experimental Jet Set, Trash and No Star"という長いタイトルの展覧会である。
(参照:http://www.newmuseum.org/exhibitions/view/nyc-1993-experimental-jet-set-trash-and-no-star)
この展覧会は、ニューヨークで1993年頃に創られた作品が一挙に展示されている。そこには、まさに「現在」に立ち向かうコンテンポラリー・アートとしての強烈な姿勢が見られる。
ここにNY美術のNY美術たる所以がある。つまり、80〜90年代以降、NYはそのスケール感に依存することから脱却し、複雑なコンテクストを内包した現在(コンテンポラリー/リアリティ)と真っ正面から向き合うことを選択する。
それによって今日の、NY美術のアイデンティティは存在する。そして、NYが世界のアートの中心であることは、この展覧会が指し示す「コンテンポラリー性」と非常に深い関係がある。
NYはある国際基準となるスケール感を作り出し、それを基に世界のアートワールドを征服することに成功した。しかし、それも行き詰まりを迎えた時、NYはスケール感に加え、「コンテンポラリー性(同時代性)」という強烈な武器を出してくる。
今は、アートのコンテンポラリー性(同時代性)の最先端は例えばドイツのドクメンタにあるのかもしれないが、少なくともNYは最先端ではなくとも未だコンテンポラリー性を失ってはおらず、生成を繰り返す都市として、そしてアートマーケットの中心としてその存在意義を失っていない。
2013/05/07
2013/01/20
90年代J-POP (ジュディマリとか..)
今年するべき大きな仕事は終わって、寝てばかりいます。
安堵感..
本当は論集に乗せる原稿を書かなければいけないんだけど、締切が2月14日..。まだ先..と思ってたら間に合わなくなるパターンですね。
芸術学の大学院生が作る論集で、そこそこ質の高い文章(引用とかしっかりしてる感じの)を掲載しなければいけないので、準備しなければ。
文字数も1万2000字と、多いのか少ないのかよく分からない感じですが、引用とかきちっとすると、時間かかるんだろうなぁ。記録に残るし。
暇なので、ちょっとツイッターに書いたけど、90年代のJ-POPの話を。
ニコ生で JUDY AND MARY の解散コンサートを放送してて、ジュディマリ熱が再燃したわけです。
正直、あまりあの解散コンサートは好きではなかったんです。それというのも、実は自分はジュディマリの結構なファンで、それまでの流れで色々感じてきたからです。
特にYUKIちゃん(「YUKIちゃん」と書くと気持ち悪いかもしれないですけど、「YUKIちゃん」は「YUKIちゃん」ですよね。「YUKIさん」だとファンって感じがしなくてよそよそしいし、「YUKI」だと呼び捨てで失礼な感じがするし..。もうちょっと世代が上の人が、松田聖子さんを「聖子ちゃん」と呼ぶのと同じ感じでしょう。永遠のアイドルですからね。)
YUKIちゃんの変化が大きいのではないかと思います。『The Power Souce』 (1997)というアルバムが絶頂だった気がします。
というのは、YUKIちゃんの日記本みたいなのにも書いてあったけど、『POP LIFE』(1998)のレコーディングがロンドンで行なわれたのですが、YUKIちゃんはホームシックというか、メンタル的に弱ってしまったということが書いてありました。「涙が止まらない」状態だったとか。。
大変ですね。。その影響か、たぶんその影響ですけど、『POP LIFE』は「いかに強くなるか」みたいな歌詞が多い気がします。あと、少し観念的な言葉が多いですよね。
顕著なのは、『ミュージック ファイター』(1998)。
『あたしのライフワーク大地に響け/荒れ果てた大地に花を/強い笑顔を』
という歌詞を聴いた時は「えっ!?」と思いました。個人的な感覚ですが。
それまでは、YUKIちゃんは日常のささいな恋話を歌ったり、ちょっとした心情とか、日常のディテイルを描くのがすごく巧かった気がします。天才的と言っていいほど。
一番有名な曲『Over Drive』(1995)でも、
サビの始めの、『走る雲の影を飛び越えるわ』という所がすごく好きです。
そうそう、雲って地面に影を作るよね。それを飛び越える感じ、その体感的な感じの、青春のスピード感というか、わかるわぁ..という身近な感じというか。(ほかに、もっと良い歌詞もこの時期のジュディマリには、いっぱいあります)
『The Power Source』まではYUKIちゃんの詩はキレキレでしたね。特に、『ラブリーベイベー』の
『まきまきまんめい/もきゅめんめい/まきめきめきめきめき/まめまっきょめきゅまめい』
という歌詞は衝撃的でした。最後の『めきゅまめ〜い!』が可愛いですよね。
それが『ミュージック ファイター』では、「荒れ果てた大地」が出てきて「花を」と言う。曲としては凄く好きなのですが、YUKIちゃんが強くなろうとしてる..と少し寂しい気もしました。「弱い」YUKIちゃんが好きなわけではないのですが、こう、多少「無理して」強くなろうとしている感じを受けて、それが詩に表れていて、なんとなく寂しくなったわけです。(あの曲自体は凄いけど)
そう言えばその前のシングルの『散歩道』からそういう気配はしてました。
前と同じ言葉を使ってるんだけど、YUKIちゃんの観察眼というよりも、精神性というか、「こうあらねば」みたいな気持ちが詩に出て来た気がして、「これはどうなるのかな..」と思っていました。
その後、ジュディマリは一回、活動を休止するんですよね。
それは必然だったと思います。
その後の展開については、色々、深いものがあるので一概には語れません。
ジュディマリが復活した!とは思わなかったけど、強くなった!とは思いました。
そして、なんというか別のバンドになった気がします。
個人的な勝手なイメージ(自由奔放なYUKIちゃんとポップなガチャガチャした楽しいバンド)からは離れていきましたが。
活動再開、第一弾の『Brand new wave upper ground』(2000)というシングルは、まだ迷走中な気がしましたが、
その後のシングル『ひとつだけ』(2000)は個人的に感動的でした。もうそこには子供のYUKIちゃんはいなくて、大人の、現実を真っ正面から歌うYUKIちゃんがいました。
そして、そこに再びリアリティが復活したのです。もう、『ラブリーベイベー』みたいな「キッチュ全開!」という場から遠く離れて、
再び自分のリアリティを生み出し始めた気がします。曲構成も、「二回サビがある」と言ったらいいのか、TAKUYAさんの才能が無駄とも言えるほど、発揮されてて、一曲に2,3曲詰め込んだんじゃないかって位、凝った構成。それなのに、聴き易い。詩にもあってる。
だから、ラストアルバム『WARP』(2001)は、一概に何も言えないのです。
確かに、1995年から1997年の、 Over Drive から、ドキドキ、そばかす、クラシック、くじら12号、ラブリーベイベー、Lover soul 、までたった二年間の間にこれだけの質のシングルを連発してた頃のジュディマリには、一種の無敵感と、刹那感があって、ほんとに魅力的だった。
YUKIちゃんも、弱い部分を見せながらも、どんどん成長していって、詩にも磨きがかかり、バンドとしての勢いも凄まじい期間でした。
でも、それは長続きはしませんよね。そういうタイムは。
「その後に何をするか」これは、ジュディマリに限らず、90年代後半に絶頂を迎えた多くのバンドに共通の課題だったと思います。
それで、ジュディマリは、少々無骨ながらも『WARP』というアルバムで回答を出して、解散した。『WARP』も、過去のジュディマリのイメージの焼き直しだったり、YUKIの声がバンドサウンドに微妙にマッチしていなかったり..色々、たしかにあります。
でも、ひとつの回答は出した。
それで、『WARP』の最後の曲(12曲目)に『ひとつだけ』が入っている。
これは、歌詞など分析したいところですが、それも野暮なのでやめておきます。とても気持ちの入っている曲、そして歌詞とだけ言っておきます。それ以上は言えない何かが、この曲にはありますよね。神聖さというか、もう、Judy and Mary が Judy and Mary のために作った最後の曲というか。。何と言えばいいんでしょう。私はこの曲は後期ジュディマリではすごく好きです。
とは言え、やっぱり、『そばかす』(1996)の頃のジュディマリは良かったなぁ..とか少し思ってしまいます。ラジオで「YUKIのオールナイトニッポン」というのがあって、毎週聴いてたんですよね。その中で、「数字とか順位は気にしませんけど..」と言い訳しつつ「そばかす、オリコン1位です!」と嬉しそうに発表していたYUKIちゃんは微笑ましかった (遠い目)
でも、ここで終わらないのです。
一昨日(?)くらいにニコ生でジュディマリの解散ライブを観て、もうその映像は観たことがあったのだけれど、もう一度観ようかなと思って観たのです。
勿論、YUKIちゃんの歌い方が、昔とは変わっていて少し寂しかった記憶とか、色々知った上で観ました。
そしたら、すごく良かった!
サウンドが強い。洋楽を聴いてるような、バランスの取れたズッシリしたサウンド。そして、10年くらい前の自分は多少がっかりしていたYUKIちゃんの声が、逆にすごく良い!
この声(YUKIちゃんは一度、喉を痛めて手術をしていて、声が変わったというのもありましたが)より昔のほうが良かった..と思っていたけど、今聴いたら、こっちのほうが良い!
MCも変な英語口調で、当時は「YUKIちゃん、普通に喋ればいいのに..」などと密かに思っていましたが、そのMCも、今聞くと、時代を感じさせないというか、逆に良い感じ。
普通、流行のものって、その時はかっこいいけど、時が過ぎると、かっこ悪くなったりしますよね。というか、それが普通ですよね。
でも、解散ライブの時のジュディマリはある種の普遍性というか、今、12年経った今も「強い」。当時はその「強さ」がダメに感じたんですが、いやいや、自分が子供でした。
感傷的(センチメンタル)な雰囲気もジュディマリには不可欠な要素でしたが、その裏にあるパワフルさというか、まあ、アルバムタイトルに引っ掛ければ「パワーの源」(the power source)がバンド内にあるということが、ジュディマリの最大の武器だったのかもしれません。
全然、刹那的ではない。むしろ、普遍的とすら言えます。勿論、ジュディマリの特徴として、「普遍的」とか言われるを巧く回避して、キッチュでポップな雰囲気に必ず落とし込むところが、このバンドの真に優れたところですが。
...とか、あれこれ色々考えて、ジュディマリの映像を漁っていたわけです。そして、98年頃のライブ映像を観ると、やっぱり良い!こっちの時期のほうが生き生きしてていい!
結局、どっちやねん...みたいな感じなのですが、まあ、それだけ時代と共に歩いてきて、その変化をリアルタイムで体験させてくれたバンドです。
「歌詞が観念的になる」という現象は、実は90年代のバンドが00年代を迎える時に、同時に起きたことなんですよね。正確に言えば、1998-99年くらいでしょうか。
「強くならなきゃ」という、そんな不思議な切迫感が、90年代のJ-POPシーンの崩壊を導いていった気がします。
それが良い事なのか悪い事なのか分かりませんが、「繊細さ」「日常性」が抜けて「強さ」「精神性」へとなぜか向かっていった。そして、それらのバンドの多くは、2000-2001年頃に一斉に解散するんですよね。彼らは21世紀を乗り越えられなかったとも言えますが、1997年までがあまりに特殊な環境だったとも言えるでしょう。
ターニングポイントとなった、各バンドの作品も言えるほどです。それほど、明確な変化がそれぞれのバンドにありました。
はっきり変化を示した作品を挙げれば、
スピッツなら『渚』(1996)『スカーレット』(1997)
Judy and Mary 『散歩道』(1998)『ミュージック ファイター』(1998)
The Yellow Monkey 『My Winding Road』(1998)
エレファントカシマシ『今宵の月のように』(1997)
Blankey Jet City『Sweet Days』(1998)
Thee Michelle Gun Elephant『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』(2000)
ミッシェルは、時期が遅いですが、(そしてスピッツは時期が一足早いですね。時代に敏感なのでしょうか、そしてスピッツは解散してませんね..その辺にスピッツの魅力がある気もします..)
「1998年」というのは、何か90年代J-POPにとって大きなターニングポイントだった気がします。
逆に言うと、細かく言えば1995-1997の三年間。
この間は奇跡的な時間が流れていた期間だった気がします。J-POPと大衆が完全にリンクしてた。音楽が自分自身でもあった。まさに文字通りの日本のポピュラーミュージック(大衆音楽) =「J-POP」が体現されていました。セールス的にも楽曲の質そのものと結びついていた。人気があるから買うのではなく、曲が良いから買っていた。人気があっても曲が良くなければあまり売れなかった。
そして、繰り返しになりますが、彼らは「知る人ぞ知る」アンダーグラウンドな存在ではなかった。ジュディマリとか『そばかす』で紅白(1996)に出場してましたからね。カルチャーの表面にきちんと出ていて、音楽を好きな人なら誰でも知っていて、聴いていた。
この1995-1997に何が起きていたのか。興味があります。
もう年月が過ぎたので、客観的に振り返れる時期が来たのかもしれません。当時は自分は14歳〜16歳で、思春期のど真ん中で、客観的に振り返ることはこれまで難しかった。
だいたい、思春期に聴いた曲とかカルチャーを人は美化したがるものですから。自分も、多少は美化しているのでしょう。でも、それでもあの時代は不思議だと、今でもふと思います。
なんだったんでしょう、あの時代は。そして、1998年を境とする「J-POPの崩壊」は何を意味したのか、または何に影響されたものなのでしょうか。
分析できたら、興味深い結果が出そうな予感がします。
安堵感..
本当は論集に乗せる原稿を書かなければいけないんだけど、締切が2月14日..。まだ先..と思ってたら間に合わなくなるパターンですね。
芸術学の大学院生が作る論集で、そこそこ質の高い文章(引用とかしっかりしてる感じの)を掲載しなければいけないので、準備しなければ。
文字数も1万2000字と、多いのか少ないのかよく分からない感じですが、引用とかきちっとすると、時間かかるんだろうなぁ。記録に残るし。
暇なので、ちょっとツイッターに書いたけど、90年代のJ-POPの話を。
ニコ生で JUDY AND MARY の解散コンサートを放送してて、ジュディマリ熱が再燃したわけです。
正直、あまりあの解散コンサートは好きではなかったんです。それというのも、実は自分はジュディマリの結構なファンで、それまでの流れで色々感じてきたからです。
特にYUKIちゃん(「YUKIちゃん」と書くと気持ち悪いかもしれないですけど、「YUKIちゃん」は「YUKIちゃん」ですよね。「YUKIさん」だとファンって感じがしなくてよそよそしいし、「YUKI」だと呼び捨てで失礼な感じがするし..。もうちょっと世代が上の人が、松田聖子さんを「聖子ちゃん」と呼ぶのと同じ感じでしょう。永遠のアイドルですからね。)
YUKIちゃんの変化が大きいのではないかと思います。『The Power Souce』 (1997)というアルバムが絶頂だった気がします。
というのは、YUKIちゃんの日記本みたいなのにも書いてあったけど、『POP LIFE』(1998)のレコーディングがロンドンで行なわれたのですが、YUKIちゃんはホームシックというか、メンタル的に弱ってしまったということが書いてありました。「涙が止まらない」状態だったとか。。
大変ですね。。その影響か、たぶんその影響ですけど、『POP LIFE』は「いかに強くなるか」みたいな歌詞が多い気がします。あと、少し観念的な言葉が多いですよね。
顕著なのは、『ミュージック ファイター』(1998)。
『あたしのライフワーク大地に響け/荒れ果てた大地に花を/強い笑顔を』
という歌詞を聴いた時は「えっ!?」と思いました。個人的な感覚ですが。
それまでは、YUKIちゃんは日常のささいな恋話を歌ったり、ちょっとした心情とか、日常のディテイルを描くのがすごく巧かった気がします。天才的と言っていいほど。
一番有名な曲『Over Drive』(1995)でも、
サビの始めの、『走る雲の影を飛び越えるわ』という所がすごく好きです。
そうそう、雲って地面に影を作るよね。それを飛び越える感じ、その体感的な感じの、青春のスピード感というか、わかるわぁ..という身近な感じというか。(ほかに、もっと良い歌詞もこの時期のジュディマリには、いっぱいあります)
『The Power Source』まではYUKIちゃんの詩はキレキレでしたね。特に、『ラブリーベイベー』の
『まきまきまんめい/もきゅめんめい/まきめきめきめきめき/まめまっきょめきゅまめい』
という歌詞は衝撃的でした。最後の『めきゅまめ〜い!』が可愛いですよね。
それが『ミュージック ファイター』では、「荒れ果てた大地」が出てきて「花を」と言う。曲としては凄く好きなのですが、YUKIちゃんが強くなろうとしてる..と少し寂しい気もしました。「弱い」YUKIちゃんが好きなわけではないのですが、こう、多少「無理して」強くなろうとしている感じを受けて、それが詩に表れていて、なんとなく寂しくなったわけです。(あの曲自体は凄いけど)
そう言えばその前のシングルの『散歩道』からそういう気配はしてました。
前と同じ言葉を使ってるんだけど、YUKIちゃんの観察眼というよりも、精神性というか、「こうあらねば」みたいな気持ちが詩に出て来た気がして、「これはどうなるのかな..」と思っていました。
その後、ジュディマリは一回、活動を休止するんですよね。
それは必然だったと思います。
その後の展開については、色々、深いものがあるので一概には語れません。
ジュディマリが復活した!とは思わなかったけど、強くなった!とは思いました。
そして、なんというか別のバンドになった気がします。
個人的な勝手なイメージ(自由奔放なYUKIちゃんとポップなガチャガチャした楽しいバンド)からは離れていきましたが。
活動再開、第一弾の『Brand new wave upper ground』(2000)というシングルは、まだ迷走中な気がしましたが、
その後のシングル『ひとつだけ』(2000)は個人的に感動的でした。もうそこには子供のYUKIちゃんはいなくて、大人の、現実を真っ正面から歌うYUKIちゃんがいました。
そして、そこに再びリアリティが復活したのです。もう、『ラブリーベイベー』みたいな「キッチュ全開!」という場から遠く離れて、
再び自分のリアリティを生み出し始めた気がします。曲構成も、「二回サビがある」と言ったらいいのか、TAKUYAさんの才能が無駄とも言えるほど、発揮されてて、一曲に2,3曲詰め込んだんじゃないかって位、凝った構成。それなのに、聴き易い。詩にもあってる。
だから、ラストアルバム『WARP』(2001)は、一概に何も言えないのです。
確かに、1995年から1997年の、 Over Drive から、ドキドキ、そばかす、クラシック、くじら12号、ラブリーベイベー、Lover soul 、までたった二年間の間にこれだけの質のシングルを連発してた頃のジュディマリには、一種の無敵感と、刹那感があって、ほんとに魅力的だった。
YUKIちゃんも、弱い部分を見せながらも、どんどん成長していって、詩にも磨きがかかり、バンドとしての勢いも凄まじい期間でした。
でも、それは長続きはしませんよね。そういうタイムは。
「その後に何をするか」これは、ジュディマリに限らず、90年代後半に絶頂を迎えた多くのバンドに共通の課題だったと思います。
それで、ジュディマリは、少々無骨ながらも『WARP』というアルバムで回答を出して、解散した。『WARP』も、過去のジュディマリのイメージの焼き直しだったり、YUKIの声がバンドサウンドに微妙にマッチしていなかったり..色々、たしかにあります。
でも、ひとつの回答は出した。
それで、『WARP』の最後の曲(12曲目)に『ひとつだけ』が入っている。
これは、歌詞など分析したいところですが、それも野暮なのでやめておきます。とても気持ちの入っている曲、そして歌詞とだけ言っておきます。それ以上は言えない何かが、この曲にはありますよね。神聖さというか、もう、Judy and Mary が Judy and Mary のために作った最後の曲というか。。何と言えばいいんでしょう。私はこの曲は後期ジュディマリではすごく好きです。
とは言え、やっぱり、『そばかす』(1996)の頃のジュディマリは良かったなぁ..とか少し思ってしまいます。ラジオで「YUKIのオールナイトニッポン」というのがあって、毎週聴いてたんですよね。その中で、「数字とか順位は気にしませんけど..」と言い訳しつつ「そばかす、オリコン1位です!」と嬉しそうに発表していたYUKIちゃんは微笑ましかった (遠い目)
でも、ここで終わらないのです。
一昨日(?)くらいにニコ生でジュディマリの解散ライブを観て、もうその映像は観たことがあったのだけれど、もう一度観ようかなと思って観たのです。
勿論、YUKIちゃんの歌い方が、昔とは変わっていて少し寂しかった記憶とか、色々知った上で観ました。
そしたら、すごく良かった!
サウンドが強い。洋楽を聴いてるような、バランスの取れたズッシリしたサウンド。そして、10年くらい前の自分は多少がっかりしていたYUKIちゃんの声が、逆にすごく良い!
この声(YUKIちゃんは一度、喉を痛めて手術をしていて、声が変わったというのもありましたが)より昔のほうが良かった..と思っていたけど、今聴いたら、こっちのほうが良い!
MCも変な英語口調で、当時は「YUKIちゃん、普通に喋ればいいのに..」などと密かに思っていましたが、そのMCも、今聞くと、時代を感じさせないというか、逆に良い感じ。
普通、流行のものって、その時はかっこいいけど、時が過ぎると、かっこ悪くなったりしますよね。というか、それが普通ですよね。
でも、解散ライブの時のジュディマリはある種の普遍性というか、今、12年経った今も「強い」。当時はその「強さ」がダメに感じたんですが、いやいや、自分が子供でした。
感傷的(センチメンタル)な雰囲気もジュディマリには不可欠な要素でしたが、その裏にあるパワフルさというか、まあ、アルバムタイトルに引っ掛ければ「パワーの源」(the power source)がバンド内にあるということが、ジュディマリの最大の武器だったのかもしれません。
全然、刹那的ではない。むしろ、普遍的とすら言えます。勿論、ジュディマリの特徴として、「普遍的」とか言われるを巧く回避して、キッチュでポップな雰囲気に必ず落とし込むところが、このバンドの真に優れたところですが。
...とか、あれこれ色々考えて、ジュディマリの映像を漁っていたわけです。そして、98年頃のライブ映像を観ると、やっぱり良い!こっちの時期のほうが生き生きしてていい!
結局、どっちやねん...みたいな感じなのですが、まあ、それだけ時代と共に歩いてきて、その変化をリアルタイムで体験させてくれたバンドです。
「歌詞が観念的になる」という現象は、実は90年代のバンドが00年代を迎える時に、同時に起きたことなんですよね。正確に言えば、1998-99年くらいでしょうか。
「強くならなきゃ」という、そんな不思議な切迫感が、90年代のJ-POPシーンの崩壊を導いていった気がします。
それが良い事なのか悪い事なのか分かりませんが、「繊細さ」「日常性」が抜けて「強さ」「精神性」へとなぜか向かっていった。そして、それらのバンドの多くは、2000-2001年頃に一斉に解散するんですよね。彼らは21世紀を乗り越えられなかったとも言えますが、1997年までがあまりに特殊な環境だったとも言えるでしょう。
ターニングポイントとなった、各バンドの作品も言えるほどです。それほど、明確な変化がそれぞれのバンドにありました。
はっきり変化を示した作品を挙げれば、
スピッツなら『渚』(1996)『スカーレット』(1997)
Judy and Mary 『散歩道』(1998)『ミュージック ファイター』(1998)
The Yellow Monkey 『My Winding Road』(1998)
エレファントカシマシ『今宵の月のように』(1997)
Blankey Jet City『Sweet Days』(1998)
Thee Michelle Gun Elephant『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』(2000)
ミッシェルは、時期が遅いですが、(そしてスピッツは時期が一足早いですね。時代に敏感なのでしょうか、そしてスピッツは解散してませんね..その辺にスピッツの魅力がある気もします..)
「1998年」というのは、何か90年代J-POPにとって大きなターニングポイントだった気がします。
逆に言うと、細かく言えば1995-1997の三年間。
この間は奇跡的な時間が流れていた期間だった気がします。J-POPと大衆が完全にリンクしてた。音楽が自分自身でもあった。まさに文字通りの日本のポピュラーミュージック(大衆音楽) =「J-POP」が体現されていました。セールス的にも楽曲の質そのものと結びついていた。人気があるから買うのではなく、曲が良いから買っていた。人気があっても曲が良くなければあまり売れなかった。
そして、繰り返しになりますが、彼らは「知る人ぞ知る」アンダーグラウンドな存在ではなかった。ジュディマリとか『そばかす』で紅白(1996)に出場してましたからね。カルチャーの表面にきちんと出ていて、音楽を好きな人なら誰でも知っていて、聴いていた。
この1995-1997に何が起きていたのか。興味があります。
もう年月が過ぎたので、客観的に振り返れる時期が来たのかもしれません。当時は自分は14歳〜16歳で、思春期のど真ん中で、客観的に振り返ることはこれまで難しかった。
だいたい、思春期に聴いた曲とかカルチャーを人は美化したがるものですから。自分も、多少は美化しているのでしょう。でも、それでもあの時代は不思議だと、今でもふと思います。
なんだったんでしょう、あの時代は。そして、1998年を境とする「J-POPの崩壊」は何を意味したのか、または何に影響されたものなのでしょうか。
分析できたら、興味深い結果が出そうな予感がします。
2012/12/13
エヴァQの感想。
結論から言うと、面白かったです。よく構築されているなぁ..と感心しました。
いわゆる震災に対するレスポンスの一つだと思うのですが、それが非常に質感的にリアル。
「質感」というのは映画に於いて、とても大事。見終わった後の感覚は、おおよそ、その映画のストーリーでも役者でもなく、全体の質感に左右されます。
自分の場合だけかもしれないですが。。
エヴァQは、見終わった後の質感が非常に良かった。
と言いますのは、震災後の「今、個々人が感じているリアル」を緻密に、写実的にと言いますか、克明に写し取っている気が致しました。
明確な震災に対する回答など、無理だし、無力。そういう事は、多くの個々人が考えていることだと思います。その、混沌ですらない、漂う感覚、不安感。そして、妙に整理された「震災後」というキーワードの質感(本来は整理不可能なはずです)。カオスをカオスとして認めない国民性。だからと言って、明確な回答も出さない国民性。そして、適当なあたかも整理された/されようとしている、かのように思いたい国民性。
皮肉ながら、それを鏡のように、写し取ったら、こうなった。
そんな作品ではないでしょうか。
今回のエヴァQのプロットは簡単に言うと、こんな感じだと思います。
(以下、ネタバレになります)
サード・インパクトを起こしてしまったシンジ君が、罪悪感に苛まれる。
(「インパクト」というのは、エヴァ用語では「人類滅亡の危機を与える地球規模の物理的衝撃」です。「非常に大きな核爆発」「巨大隕石の地球衝突」などを連想してもらえると分かり易いかと。ただし、人為的に起きるものなので、前者の例のほうが、近いですね。その「サード」、三回目という事です。)
シンジ君は最初は、記憶がない。14年前に自分が起こしてしまった罪を知らない状態。
そこから、周囲の破壊された風景を見るなどして、自分の罪を自覚します。
それで、罪を償おうとするんですね。あまりエヴァに詳しくないので分かりませんが、
地下にある二つの槍を抜くことで、世界が取り戻せる。
そう信じて、槍を抜くわけです。
でも、不幸なことに、槍を抜くと、逆にフォース・インパクトが起きてしまう。
かわいそうに..シンジ君...
故意ではないんですが、槍を抜く前に、隣にいた渚カヲル君という人が、何か異変に気付いて止めてるんです。でも、シンジ君は罪を償うことのみに猛進して、逆に世界を破壊してしまう。
そのフォース・インパクトなんですが、結末としては起きない、というか完全に起きる寸前で止まります。
なぜかというと、さっき登場した、渚カヲル君が、自らの命と引き換えに、なんかあれこれして、防ぐ。
それで、よかったよかった。と終わるわけではなく、その後、取り残された、シンジ君とアスカ(昔の旧友みたいな人)が、フォース・インパクトが起きそうになった時に破壊された、真っ赤な荒れ地を歩くところで終わります。
説明が下手ですみませんが、たぶん、観た人が多いのでいいでしょう。
簡単に言うと、プロットとしては、何も進んでいないわけです。
フォース・インパクトが起こりそうになって、それを防いだ。それだけで、何も変わっていない。
変わらないのは、サード・インパクトによって破壊された現状だけです。
これはとてもリアルだと思いませんか。
ある種の破壊が訪れ、それはどうにもならない。ただ、心情的な悔いだけは残る。
次の破壊を防ごうとして、一応、不完全ながらも防ぐ。
ただし、その後、また破壊が起きないという保証はない。
今の日本、そのまんまです。
ここで重要なのは、フォース・インパクトにこの映画の重点が置かれている点。
そして、それが(不完全ながら)起きてしまうという点です。
「日本はまだ揺れている」ということです。
3.11が最後ではなく、今後、いつ起こるか分からない。
そして、それに対する対策も、具体的には取っていない。
いや、取っているのですが、(ミサトさん、アスカなどは、それを行なっています)
それが実質的に次なる破壊を防げるとは、誰も保証することができない。
そして、さらに言えば、サード・インパクトも、フォース・インパクトも、人為的に起きている、という事。劇中では「トリガー(引き金)」という言葉が多用されていましたが、
全責任はないとしても、破壊のトリガーとしてシンジ君が居る。
アナロジカルに言うと、シンジ君は原発みたいなものです。自らが出した放射能には、なす術がない。無力です。それを償おうと(原発を擬人化すれば)して、
またトリガーを引いてしまう。
シンジ君は、アスカやミサトさんに、「あなたはもういらない」と言われます。
閉じ込めておくべきだと。危険ですから。
シンジ君は単純な読み方をすれば、理性を失った原子力発電所です。
ただ、それはあまりに政治的で退屈な見方です。
ここには、日本人が持つ、一神教に対する複雑な心情が背景としてある。
ネルフという組織(?)は、一神教的なモノリスに象徴されるゼーレという組織(?)の支配下にありますが、
そのモノリスたちは(モノ=単一という意味なので矛盾した言い方ですが)、喋るし、神のようなくぐもった声ながら、明らかに人間的な声色を背後に感じさせるものです。
モノリスが複数あるというように、これは単純な一神教ではなく、そして、多神教でもない。
ただし、ゼーレには絶対的な力がある。ただし、超越的な力ではない。
簡単に言えば、滅茶苦茶なんです。設定が。もともとエヴァは。
ただし、それが、日本人が持つ宗教観と、非常にマッチしている。
キリスト教の用語を数多く取り入れ、それを小出しにするやり方は、宗教の神秘、
死海文書などの「出していいのか」と思うような固有名詞も出てきますが、
適当にキリスト教的なものをちりばめ、それを神秘的、そして、ある種の謎解き要素として、
つまり重要なヒントとしてストーリーに忍ばせておく。
ダサいと思いませんか。キリスト教の、表層的な神秘感を、そのさらにうわずみだけを取り出して、あたかも世界の体系を語ったようなストーリーにする。
この浅はかさ。
これこそが、エヴァの本質なんだと思います。パロディというよりも、雰囲気遊びで、
触れてはいけないものも利用して、
観た感じ心地よいものを、観るものに届ける。中身は、ただの少年の思春期の、「承認」への葛藤。
これほど、馬鹿らしいアニメを日本の多くの人が観る。
これこそが、日本のリアルなのです。
つまり、震災に関しても、一神教への表層的憧れに対しても、何も答えをだすわけがない。そもそも、出す意志が欠落している。
そして、ただ何かに怯えている。
そして、何かと精神性に持っていって、世界を、一人の青年の心情とあたかもリンクしたように矮小化してしまう。世界を説明するには、少年の心情を通過しないと、できない。その思い込みこそが、日本のマインドです。
サラリーマンが、俺ががんばれが日本が良くなる、と思うのに似てますね。
エヴァは基本的に、そうした日本を、自覚的に鏡のように写し出してきました。
自分は大嫌いですが、テレビシリーズ、エヴァ序、までは観るのも辛いほど、最低の作品だと言えましょう。ただ、我々を映す鏡としては、最高なのかもしれないし、おそらく、上質な鏡と言えると思います。
エヴァ破では、少しそれまでと違って、物語が自律的に動き出します。その結果として、カルチャーとしてのエヴァが、確立された気がします。鏡というより、少し、先を行った感じでしょうか。自分はこの作品は好きです。
で、今回のエヴァQ。
これは、「鏡であるエヴァ」としての原点に立ち戻った感じがします。しかし、ただの表層的鏡ではない。つまり、表面の心地よいものや、心情的に共感しやすいものを写しだす鏡であることは、止めている。
そして、エヴァお得意の「深層心理」を写し出す(なんとインチキ臭い言葉でしょう。でも、エヴァはそれをやってきたのです。良くも悪くも。)ことも止めた。
エヴァQが写し出しているものは、ただ、写実的な、そのままです。
深い真理でも、ましてや回答でもない。
徹底した写実です。
本来の鏡とは、そういうものでしょう。
エヴァの最大の強みは、様々なコンテンツ(エヴァンゲリオンという機械、少年、少女、組織、使徒)を抱えていて、それを自由に操作できる状態まで持ってきているということです。
簡単に言えば、使徒が襲来して来て、シンジ君がエヴァに乗れば、
あとは何をしても「エヴァ」になるのです。
これを最大限に生かした作品が、このQでしょう。
この映画の実質は、据え置きカメラのような、無機質な日本(あえて限定します)に対する、残酷なまでに冷徹な「眼」です。いや、「眼」という言い方は正確ではないかもしれない。「眼」というと主体性が残ってしまう。主体のない、単なる「据え置きカメラ」と言ったほうが良いでしょう。
この映画を観て、どのような感想を抱くかは、正直、私には分かりませんが、
少なくとも、エヴァがこのような段階まで成長したこと(もはや異次元のモンスター化したコンテンツと化しています)、だからこそやれるこの残虐性(冷徹性)。
そこは最大限に評価したいと思います。
いわゆる震災に対するレスポンスの一つだと思うのですが、それが非常に質感的にリアル。
「質感」というのは映画に於いて、とても大事。見終わった後の感覚は、おおよそ、その映画のストーリーでも役者でもなく、全体の質感に左右されます。
自分の場合だけかもしれないですが。。
エヴァQは、見終わった後の質感が非常に良かった。
と言いますのは、震災後の「今、個々人が感じているリアル」を緻密に、写実的にと言いますか、克明に写し取っている気が致しました。
明確な震災に対する回答など、無理だし、無力。そういう事は、多くの個々人が考えていることだと思います。その、混沌ですらない、漂う感覚、不安感。そして、妙に整理された「震災後」というキーワードの質感(本来は整理不可能なはずです)。カオスをカオスとして認めない国民性。だからと言って、明確な回答も出さない国民性。そして、適当なあたかも整理された/されようとしている、かのように思いたい国民性。
皮肉ながら、それを鏡のように、写し取ったら、こうなった。
そんな作品ではないでしょうか。
今回のエヴァQのプロットは簡単に言うと、こんな感じだと思います。
(以下、ネタバレになります)
サード・インパクトを起こしてしまったシンジ君が、罪悪感に苛まれる。
(「インパクト」というのは、エヴァ用語では「人類滅亡の危機を与える地球規模の物理的衝撃」です。「非常に大きな核爆発」「巨大隕石の地球衝突」などを連想してもらえると分かり易いかと。ただし、人為的に起きるものなので、前者の例のほうが、近いですね。その「サード」、三回目という事です。)
シンジ君は最初は、記憶がない。14年前に自分が起こしてしまった罪を知らない状態。
そこから、周囲の破壊された風景を見るなどして、自分の罪を自覚します。
それで、罪を償おうとするんですね。あまりエヴァに詳しくないので分かりませんが、
地下にある二つの槍を抜くことで、世界が取り戻せる。
そう信じて、槍を抜くわけです。
でも、不幸なことに、槍を抜くと、逆にフォース・インパクトが起きてしまう。
かわいそうに..シンジ君...
故意ではないんですが、槍を抜く前に、隣にいた渚カヲル君という人が、何か異変に気付いて止めてるんです。でも、シンジ君は罪を償うことのみに猛進して、逆に世界を破壊してしまう。
そのフォース・インパクトなんですが、結末としては起きない、というか完全に起きる寸前で止まります。
なぜかというと、さっき登場した、渚カヲル君が、自らの命と引き換えに、なんかあれこれして、防ぐ。
それで、よかったよかった。と終わるわけではなく、その後、取り残された、シンジ君とアスカ(昔の旧友みたいな人)が、フォース・インパクトが起きそうになった時に破壊された、真っ赤な荒れ地を歩くところで終わります。
説明が下手ですみませんが、たぶん、観た人が多いのでいいでしょう。
簡単に言うと、プロットとしては、何も進んでいないわけです。
フォース・インパクトが起こりそうになって、それを防いだ。それだけで、何も変わっていない。
変わらないのは、サード・インパクトによって破壊された現状だけです。
これはとてもリアルだと思いませんか。
ある種の破壊が訪れ、それはどうにもならない。ただ、心情的な悔いだけは残る。
次の破壊を防ごうとして、一応、不完全ながらも防ぐ。
ただし、その後、また破壊が起きないという保証はない。
今の日本、そのまんまです。
ここで重要なのは、フォース・インパクトにこの映画の重点が置かれている点。
そして、それが(不完全ながら)起きてしまうという点です。
「日本はまだ揺れている」ということです。
3.11が最後ではなく、今後、いつ起こるか分からない。
そして、それに対する対策も、具体的には取っていない。
いや、取っているのですが、(ミサトさん、アスカなどは、それを行なっています)
それが実質的に次なる破壊を防げるとは、誰も保証することができない。
そして、さらに言えば、サード・インパクトも、フォース・インパクトも、人為的に起きている、という事。劇中では「トリガー(引き金)」という言葉が多用されていましたが、
全責任はないとしても、破壊のトリガーとしてシンジ君が居る。
アナロジカルに言うと、シンジ君は原発みたいなものです。自らが出した放射能には、なす術がない。無力です。それを償おうと(原発を擬人化すれば)して、
またトリガーを引いてしまう。
シンジ君は、アスカやミサトさんに、「あなたはもういらない」と言われます。
閉じ込めておくべきだと。危険ですから。
シンジ君は単純な読み方をすれば、理性を失った原子力発電所です。
ただ、それはあまりに政治的で退屈な見方です。
ここには、日本人が持つ、一神教に対する複雑な心情が背景としてある。
ネルフという組織(?)は、一神教的なモノリスに象徴されるゼーレという組織(?)の支配下にありますが、
そのモノリスたちは(モノ=単一という意味なので矛盾した言い方ですが)、喋るし、神のようなくぐもった声ながら、明らかに人間的な声色を背後に感じさせるものです。
モノリスが複数あるというように、これは単純な一神教ではなく、そして、多神教でもない。
ただし、ゼーレには絶対的な力がある。ただし、超越的な力ではない。
簡単に言えば、滅茶苦茶なんです。設定が。もともとエヴァは。
ただし、それが、日本人が持つ宗教観と、非常にマッチしている。
キリスト教の用語を数多く取り入れ、それを小出しにするやり方は、宗教の神秘、
死海文書などの「出していいのか」と思うような固有名詞も出てきますが、
適当にキリスト教的なものをちりばめ、それを神秘的、そして、ある種の謎解き要素として、
つまり重要なヒントとしてストーリーに忍ばせておく。
ダサいと思いませんか。キリスト教の、表層的な神秘感を、そのさらにうわずみだけを取り出して、あたかも世界の体系を語ったようなストーリーにする。
この浅はかさ。
これこそが、エヴァの本質なんだと思います。パロディというよりも、雰囲気遊びで、
触れてはいけないものも利用して、
観た感じ心地よいものを、観るものに届ける。中身は、ただの少年の思春期の、「承認」への葛藤。
これほど、馬鹿らしいアニメを日本の多くの人が観る。
これこそが、日本のリアルなのです。
つまり、震災に関しても、一神教への表層的憧れに対しても、何も答えをだすわけがない。そもそも、出す意志が欠落している。
そして、ただ何かに怯えている。
そして、何かと精神性に持っていって、世界を、一人の青年の心情とあたかもリンクしたように矮小化してしまう。世界を説明するには、少年の心情を通過しないと、できない。その思い込みこそが、日本のマインドです。
サラリーマンが、俺ががんばれが日本が良くなる、と思うのに似てますね。
エヴァは基本的に、そうした日本を、自覚的に鏡のように写し出してきました。
自分は大嫌いですが、テレビシリーズ、エヴァ序、までは観るのも辛いほど、最低の作品だと言えましょう。ただ、我々を映す鏡としては、最高なのかもしれないし、おそらく、上質な鏡と言えると思います。
エヴァ破では、少しそれまでと違って、物語が自律的に動き出します。その結果として、カルチャーとしてのエヴァが、確立された気がします。鏡というより、少し、先を行った感じでしょうか。自分はこの作品は好きです。
で、今回のエヴァQ。
これは、「鏡であるエヴァ」としての原点に立ち戻った感じがします。しかし、ただの表層的鏡ではない。つまり、表面の心地よいものや、心情的に共感しやすいものを写しだす鏡であることは、止めている。
そして、エヴァお得意の「深層心理」を写し出す(なんとインチキ臭い言葉でしょう。でも、エヴァはそれをやってきたのです。良くも悪くも。)ことも止めた。
エヴァQが写し出しているものは、ただ、写実的な、そのままです。
深い真理でも、ましてや回答でもない。
徹底した写実です。
本来の鏡とは、そういうものでしょう。
エヴァの最大の強みは、様々なコンテンツ(エヴァンゲリオンという機械、少年、少女、組織、使徒)を抱えていて、それを自由に操作できる状態まで持ってきているということです。
簡単に言えば、使徒が襲来して来て、シンジ君がエヴァに乗れば、
あとは何をしても「エヴァ」になるのです。
これを最大限に生かした作品が、このQでしょう。
この映画の実質は、据え置きカメラのような、無機質な日本(あえて限定します)に対する、残酷なまでに冷徹な「眼」です。いや、「眼」という言い方は正確ではないかもしれない。「眼」というと主体性が残ってしまう。主体のない、単なる「据え置きカメラ」と言ったほうが良いでしょう。
この映画を観て、どのような感想を抱くかは、正直、私には分かりませんが、
少なくとも、エヴァがこのような段階まで成長したこと(もはや異次元のモンスター化したコンテンツと化しています)、だからこそやれるこの残虐性(冷徹性)。
そこは最大限に評価したいと思います。
2012/12/06
中間報告原稿 (2012/12/1)
中間報告原稿 (2012.12.01)
アンディ・ウォーホルにおける"machine-like"の意味
【はじめに】
私は、卒業論文に引き続き、アンディ・ウォーホルを取り上げて、修士論文を書きたいと考えております。
修士論文では、キーワードを一つに絞ります。
“machine-like”という言葉です。
【研究テーマ】
アンディ・ウォーホルに於いて、最も重要な要素は、”machine-like”つまり「機械のように」
という概念だと、私は考えます。これは1963年のアートニューズ紙に於いて、ウォーホル自身が、「私は機械になりたい」「誰もが機械であるべきだと私は思う」という発言したことに依っています。果たして、「機械になる」、そして「機械」として芸術作品を創るということは、一体、どのような概念なのでしょうか。ここで、”machine-like”を読み解く重要なキーワードとして「直接性」「痕跡」という概念を、私は提示したいと思います。これは、パースの記号論の指標記号という概念からヒントを得たものです。指標記号は、直接的で、物理的痕跡を残した記号を指します。ウォーホルの作品には、その指標記号としての性質が多々、見受けられます。さらに、指標記号としての作品を成立させる条件として、無媒介性、特に、感情という媒介を排除するウォーホルの手順を検証していきます。このように、直接性、痕跡、指標記号、無媒介性、感情の排除、と読み解いていくことで、ウォーホルの”machine-like”という概念について、考察していきたいと考えています。
【論文構成予定】
第1章
1963年のインタビューから
“machine-like”とは
第2章
直接性
痕跡
パースの記号論における指標記号
第3章
無媒介性
感情の平板化(退屈、反復)
物質としての感情(ミヒャエル・ハネケ、感情の氷河期)
第4章
歴史的位置づけ
・モダニズムとの関連
・リアリズムとの関連
・ミニマリズムとの関連
結語
を予定しています。
では、短い時間ですが、具体的にご説明したいと思います。最後に、これからの課題を提示して終わりに致します。
【1963年のインタビュー】
本論文で、主に扱うのは、1963年のインタビュー前後、1961年から1964年までの作品。そして、1963年のアートニューズ紙でのインタビューです。
ウォーホルのインタビューの多くは、インタビュアーをはぐらかす様な内容ですが、1963年のインタビューでは、珍しくウォーホルが能動的に、自作について述べており、数少ない、ウォーホルの信用性のおける言説と言えます。
1963年のインタビューでは具体的に、このように述べられています。
(引用元)
Interviews by G.R.Swenson, “What is Pop Art?”, Artnews, November, 1963, p.26
「誰もが機械であるべきだと私は思う。」
(I think everybody should be machine)
「私がこのような方法で絵を描く理由は、私は機械になりたいからである。そして、私がすること全て、機械のようにすること全てが、私がしたいことだと感じる。」
(The reason I’m painting this
way is that I want to be a machine,
and I feel that whatever I do and do machine-like
is what I want to do.)
このようにウォーホルは繰り返し、機械について言及しています。
では、機械(machine-like)とはどのような概念なのでしょうか。
まず、ウォーホルが手法として、シルクスクリーンを使うようになったこと。
システマティックに大量生産をするようになったことが挙げられます。
シルクスクリーンは、直接的にイメージを画面に焼き付ける手法であり、実際、ウォーホルは、シルクスクリーンを発見する前から、シルクスクリーンで描いたような、人の手で描かれていないような画面を作り出そうとしています。
また、ウォーホルは、シルクスクリーン特有の、あからさまな痕跡、つまり刷り残しの痕跡を強調します。あたかも機械によって刷られたことを強調するかのようです。
これは、ロザリンド・クラウスが1976年の論文、指標論で述べていることとリンクします。
クラウスは、ウォーホルそのものについては言及していませんが、デュシャンの作品、写真について述べる中で、パースの記号論を引用し、現代美術は、指標性へと向かっている、という内容のことを述べています。
そして、この指標性はウォーホルの”machine-like”という概念と見事に一致します。クラウスの言う、指標性は、ウォーホルの持つ直接性、痕跡という特徴と一致します。以下に、見ていきます。
ではまず、そのロザリンド・クラウスが指標性の前提として引用した、パースの記号論を簡単に説明します。
記号分類の三種
1.
類像/類像的記号 (Icon/iconic)
2.
指標/指標的記号 (Index/indexial)
3.
象徴/象徴的記号(Symbol/symbolic)
******
1. 類像記号の特徴
記号表現は、記号内容に似ているか、意味されているものを模倣しており、そのものが持つある性質を同じように保持していると認められる様態
類像記号の例
肖像画、風刺画、縮尺モデル、隠喩、物真似
2. 指標記号の特徴
記号表現は、恣意的でなく、ある方法(物理的かまたは因果関係で)で記号内容と直接的に結ばれている様態―その結びつきは観察できるか推測できる
指標記号の例
‘自然記号’(煙、雷、足跡)、医学的な徴候(痛み、発疹)、測定機器(風見鶏、温度計、時計)、‘信号’(ドアのノック、電話のベルの音)、指示器(人差し指、方向を指示する道標)、記録写真
3. 象徴記号の特徴
記号表現は、記号内容に似ていず、原則的に恣意的であり、純粋に慣習的でありその関係は学習されなければならない様態(mode)
象徴記号の例
言語一般、数、モールス信号、交通信号、国旗
(実際の記号は、これら3種類の記号が複合化したもの)
引用元:Daniel Chandler, Semiotics for Beginners (on line),University of Wales, 1995, 田沼正也
訳 (http://www.wind.sannet.ne.jp/masa-t/kigou/kigou.html)
ウォーホルの「machine-like」という概念は、パースの言うところの、指標記号、つまり、物理的痕跡、そして直接性との類似性が多く見受けられます。
ウォーホルの色彩は、常に視覚的に直接的です。ヴィヴィッドであり、けばけばしく、人工的な異物感が、すぐに目に飛び込んできます。
また、絵の具なら絵の具そのものの、名残、痕跡がはっきりしている。どの絵の具を使ったのか、はっきり分かる。手法は全て、オープンである。ここに、痕跡に対する強調が見られます。
また、モチーフも遠回しでも比喩でもなく、その元になったもの、つまり、その多くが写真ですが、その写真も誰もが知っているものであり、すぐさま、認識できるものです。
痕跡をあえて、残すこと。それはある意味で稚拙さへの欲求です。稚拙さとは、巧みな技術の正反対です。
巧みな技術とは、陰影を駆使し、イリュージョン的な再現を画面で表現することです。
しかし、ウォーホルは「巧みな技術」の使用を禁ずる。
なぜでしょうか?
それは、「巧みな技術」とは、「事物そのもの」が持つ、直接性、痕跡、などを、技術を駆使して、消してしまうものだからです。
「事物そのもの」の類像、指標でなければならず、それを写し取った痕跡を明らかにしなければならないのが、ウォーホルの作品の原則です。
【写真】
また、ウォーホルが素材として扱う「写真」が持つ性質とは、類像的(icon/iconic)であり、指標的(Index/indexial)。少なくとも象徴的ではありません。
そのイメージを、直接、シルクスクリーンという、極端に無媒介性を追求した手法によって、画面に定着させることで、写真、そのものが持つ類像性、そして、指標性を保持します。
さらに、写真そのものよりも、ウォーホルの作品は直接的です。
それは、写真のキャプションの排除、写真が持つストーリー性の排除によるものです。
そうすることによって、写真の持つ直接性、痕跡性が、より強固になるのです。
【痕跡の例】
ほかにも、痕跡の作品例=《ピス・ペインティング》(1977)があります。これは、酸化させると色が変わるよう施された金属板に、尿をかけた作品です。ここには、尿と金属の間には物理的な因果関係しかありません。
また、《撃たれたマリリン》(1964)は、ファクトリーへの侵入者が、ウォーホルが描いたマリリンを銃で撃ったものです。勿論、これはウォーホルも予期せぬことでしたが、ウォーホルはこれを≪撃たれたマリリン≫として、そのまま作品にしました。
撃たれた痕跡自体に美術的価値があると考えたのです。
【有名人/象徴的記号から指標的記号へ】
《マリリン》(1962),《エルヴィス》(1963)などの有名人を描いたシリーズにおいては、
有名人、つまり、象徴的記号、バックグラウンドが必要な記号を
反復させたり、わざとかすれたようにシルクスクリーンで刷る、色彩を派手に施すことによって、
象徴的記号、つまり、人々が有名人に対して持つ、感情的なイメージに、ダメージを与えます。
有名人は一人でなくてはならない。はっきりと写っていなくてはならない。人らしい色彩でなくてはならない。
そのような、条件を一つずつ崩すことで、バックグラウンドが不要な記号、直接性へと還元(reduction)しています。
もっと言えば、類像的なもの(肖像画)へと、さらに第一次段階へと還元(reduction)しようとすることで、第三段階である象徴的記号から、引き離しています。
映像のおいても、《スクリーンテスト》《エンパイア》(1964)は、ストーリーを省いた、直接性という意味で指標的です。
ウォーホルが惹かれていたのは、この世界の裏側に潜む、事実そのものを表す記号、つまり指標性への希求です。それは、事物の、直接的な痕跡への希求とも言えましょう。
これは、創作(invent)することの回避とも関連づけられます。
ウォーホルは同じインタビューでこのように答えています。
「私はかつて、創作しなければならなかったが、今はそうする必要はない。」
(I’d have to invent and now I
don’t) l.67-68
*注 広告業界で働いていた時代を振り返っての発言
つまり、ウォーホルはかつて働いていた広告業界では創作(invent)、つまりゼロから作るする必要があったが、純粋芸術(ファインアート)の世界では創作は必要ではない、と言っています。これは、ウォーホルが常に、自分がゼロから描いたものではないもの、つまり、他者のものを利用していることと繋がります。
ウォーホルにとって制作とは、ゼロから作る、つまり、inventするものではなく、世界にある痕跡を留めることと言えます。
直接性とは、外から来るもの。つまり、他者性、突然性とも言い換えられる概念です。
では、それを成し遂げるために必要なものは何でしょうか。
その一つとして重要なものは、無媒介性。特に、感情を無くすことです。
【無媒介性/感情の平板化】
感情という媒体が間に入ってしまうと、それは象徴的記号となり、何かしらの物語を持ってしまいます。それは排除する必要があります。
ウォーホルは前出のインタビューでこのように、感情に言及しています。
But
when you see a gruesome picture over and over again, it doesn’t really have any
effect.
でもどんなにおぞましい絵でも、実際は繰り返し見ているとその効果が消えてしまいます。
感情の排除は、手描きの《キャンベルスープ》(1962)から、シルクスクリーンの《キャンベルスープ》への移行の流れからも読み取れます。
象徴的記号として、惨劇シリーズを見た場合、おそろしい、などと、感情的な媒体が介入します。
しかし、繰りかえし見たり、キャプションを無くしたりすることで、指標性、つまり、ただ、偶然そこにあった痕跡、記録写真、つまり、非言語的、非象徴的なものへと変化していきます。
【まとめ】
まとめると、ウォーホルが確立した、「machine-like」という概念は、直接性、痕跡と言い換え可能です。
そして、それはあらゆる媒介を無くすこと、つまり、無媒介性が必要条件です。特に、人間、誰しもが持つ、感情。この感情の平板化。
このプロセスによって、ウォーホルのmachine-like という概念は成立しています
【今後の課題として】
(ミヒャエル・ハネケとの関連)
また、ウォーホルの現代性を示すものとして、ウォーホルの絵画を使用した、オーストリアの映画監督、ミヒャエル・ハネケの「ベニーズビデオ」という作品、この作品は「感情の氷河期」と監督自身が名づけているものですが、この作品におけるウォーホルの扱いについても研究していきます。
(美術史上の位置づけ)
第四章で、ウォーホルを美術史上に位置付ける試みを行いたいと思っています。
その歴史的位置づけとして、三つの流派から考えていきたいと思っています。
モダニズム、リアリズム、ミニマリズムの三つです。
モダニズムは、ウォーホルがそこに身を置いたアメリカで発展したもので、グリーンバーグの理論に基づき、ウォーホル登場の直前まで、隆盛を誇っていました。一般的に、モダニズムとウォーホルの間には、断絶があることが強調されますが、一概にそうとは言えません。
巨大な画面。絵画要素、つまりメディウムそのものへの還元、ジャクソン・ポロックに代表されるオールオーヴァー。そして、バーネット・ニューマンが確立した、冷たい抽象表現主義からの流れ。それをウォーホルは継いでいます。
ただ、ここについては、これからの研究課題です。
そして、リアリズム。ポップアートはイギリスのリアリズムの流れから生まれたものです。アメリカで生まれたものではありません。イギリスのリアリズムの流れから考えることは重要です。(これも研究課題です)
最後にミニマリズム。ウォーホルの手法は、明らかにミニマリズム的要素を含んでいます。これも、今後の研究課題です。
どうもご清聴、ありがとうございました。
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