2013/01/20

90年代J-POP (ジュディマリとか..)

今年するべき大きな仕事は終わって、寝てばかりいます。
安堵感..

本当は論集に乗せる原稿を書かなければいけないんだけど、締切が2月14日..。まだ先..と思ってたら間に合わなくなるパターンですね。
芸術学の大学院生が作る論集で、そこそこ質の高い文章(引用とかしっかりしてる感じの)を掲載しなければいけないので、準備しなければ。
文字数も1万2000字と、多いのか少ないのかよく分からない感じですが、引用とかきちっとすると、時間かかるんだろうなぁ。記録に残るし。


暇なので、ちょっとツイッターに書いたけど、90年代のJ-POPの話を。

ニコ生で JUDY AND MARY の解散コンサートを放送してて、ジュディマリ熱が再燃したわけです。
正直、あまりあの解散コンサートは好きではなかったんです。それというのも、実は自分はジュディマリの結構なファンで、それまでの流れで色々感じてきたからです。

特にYUKIちゃん(「YUKIちゃん」と書くと気持ち悪いかもしれないですけど、「YUKIちゃん」は「YUKIちゃん」ですよね。「YUKIさん」だとファンって感じがしなくてよそよそしいし、「YUKI」だと呼び捨てで失礼な感じがするし..。もうちょっと世代が上の人が、松田聖子さんを「聖子ちゃん」と呼ぶのと同じ感じでしょう。永遠のアイドルですからね。)
YUKIちゃんの変化が大きいのではないかと思います。『The Power Souce』 (1997)というアルバムが絶頂だった気がします。
というのは、YUKIちゃんの日記本みたいなのにも書いてあったけど、『POP LIFE』(1998)のレコーディングがロンドンで行なわれたのですが、YUKIちゃんはホームシックというか、メンタル的に弱ってしまったということが書いてありました。「涙が止まらない」状態だったとか。。

大変ですね。。その影響か、たぶんその影響ですけど、『POP LIFE』は「いかに強くなるか」みたいな歌詞が多い気がします。あと、少し観念的な言葉が多いですよね。

顕著なのは、『ミュージック ファイター』(1998)。
『あたしのライフワーク大地に響け/荒れ果てた大地に花を/強い笑顔を』

という歌詞を聴いた時は「えっ!?」と思いました。個人的な感覚ですが。

それまでは、YUKIちゃんは日常のささいな恋話を歌ったり、ちょっとした心情とか、日常のディテイルを描くのがすごく巧かった気がします。天才的と言っていいほど。

一番有名な曲『Over Drive』(1995)でも、
サビの始めの、『走る雲の影を飛び越えるわ』という所がすごく好きです。
そうそう、雲って地面に影を作るよね。それを飛び越える感じ、その体感的な感じの、青春のスピード感というか、わかるわぁ..という身近な感じというか。(ほかに、もっと良い歌詞もこの時期のジュディマリには、いっぱいあります)

『The Power Source』まではYUKIちゃんの詩はキレキレでしたね。特に、『ラブリーベイベー』の
『まきまきまんめい/もきゅめんめい/まきめきめきめきめき/まめまっきょめきゅまめい』
という歌詞は衝撃的でした。最後の『めきゅまめ〜い!』が可愛いですよね。


それが『ミュージック ファイター』では、「荒れ果てた大地」が出てきて「花を」と言う。曲としては凄く好きなのですが、YUKIちゃんが強くなろうとしてる..と少し寂しい気もしました。「弱い」YUKIちゃんが好きなわけではないのですが、こう、多少「無理して」強くなろうとしている感じを受けて、それが詩に表れていて、なんとなく寂しくなったわけです。(あの曲自体は凄いけど)

そう言えばその前のシングルの『散歩道』からそういう気配はしてました。
前と同じ言葉を使ってるんだけど、YUKIちゃんの観察眼というよりも、精神性というか、「こうあらねば」みたいな気持ちが詩に出て来た気がして、「これはどうなるのかな..」と思っていました。


その後、ジュディマリは一回、活動を休止するんですよね。
それは必然だったと思います。


その後の展開については、色々、深いものがあるので一概には語れません。

ジュディマリが復活した!とは思わなかったけど、強くなった!とは思いました。
そして、なんというか別のバンドになった気がします。
個人的な勝手なイメージ(自由奔放なYUKIちゃんとポップなガチャガチャした楽しいバンド)からは離れていきましたが。

活動再開、第一弾の『Brand new wave upper ground』(2000)というシングルは、まだ迷走中な気がしましたが、
その後のシングル『ひとつだけ』(2000)は個人的に感動的でした。もうそこには子供のYUKIちゃんはいなくて、大人の、現実を真っ正面から歌うYUKIちゃんがいました。

そして、そこに再びリアリティが復活したのです。もう、『ラブリーベイベー』みたいな「キッチュ全開!」という場から遠く離れて、

再び自分のリアリティを生み出し始めた気がします。曲構成も、「二回サビがある」と言ったらいいのか、TAKUYAさんの才能が無駄とも言えるほど、発揮されてて、一曲に2,3曲詰め込んだんじゃないかって位、凝った構成。それなのに、聴き易い。詩にもあってる。

だから、ラストアルバム『WARP』(2001)は、一概に何も言えないのです。

確かに、1995年から1997年の、 Over Drive から、ドキドキ、そばかす、クラシック、くじら12号、ラブリーベイベー、Lover soul 、までたった二年間の間にこれだけの質のシングルを連発してた頃のジュディマリには、一種の無敵感と、刹那感があって、ほんとに魅力的だった。

YUKIちゃんも、弱い部分を見せながらも、どんどん成長していって、詩にも磨きがかかり、バンドとしての勢いも凄まじい期間でした。

でも、それは長続きはしませんよね。そういうタイムは。


「その後に何をするか」これは、ジュディマリに限らず、90年代後半に絶頂を迎えた多くのバンドに共通の課題だったと思います。

それで、ジュディマリは、少々無骨ながらも『WARP』というアルバムで回答を出して、解散した。『WARP』も、過去のジュディマリのイメージの焼き直しだったり、YUKIの声がバンドサウンドに微妙にマッチしていなかったり..色々、たしかにあります。
でも、ひとつの回答は出した。

それで、『WARP』の最後の曲(12曲目)に『ひとつだけ』が入っている。
これは、歌詞など分析したいところですが、それも野暮なのでやめておきます。とても気持ちの入っている曲、そして歌詞とだけ言っておきます。それ以上は言えない何かが、この曲にはありますよね。神聖さというか、もう、Judy and Mary が Judy and Mary のために作った最後の曲というか。。何と言えばいいんでしょう。私はこの曲は後期ジュディマリではすごく好きです。

とは言え、やっぱり、『そばかす』(1996)の頃のジュディマリは良かったなぁ..とか少し思ってしまいます。ラジオで「YUKIのオールナイトニッポン」というのがあって、毎週聴いてたんですよね。その中で、「数字とか順位は気にしませんけど..」と言い訳しつつ「そばかす、オリコン1位です!」と嬉しそうに発表していたYUKIちゃんは微笑ましかった (遠い目)


でも、ここで終わらないのです。
一昨日(?)くらいにニコ生でジュディマリの解散ライブを観て、もうその映像は観たことがあったのだけれど、もう一度観ようかなと思って観たのです。
勿論、YUKIちゃんの歌い方が、昔とは変わっていて少し寂しかった記憶とか、色々知った上で観ました。

そしたら、すごく良かった!
サウンドが強い。洋楽を聴いてるような、バランスの取れたズッシリしたサウンド。そして、10年くらい前の自分は多少がっかりしていたYUKIちゃんの声が、逆にすごく良い!

この声(YUKIちゃんは一度、喉を痛めて手術をしていて、声が変わったというのもありましたが)より昔のほうが良かった..と思っていたけど、今聴いたら、こっちのほうが良い!

MCも変な英語口調で、当時は「YUKIちゃん、普通に喋ればいいのに..」などと密かに思っていましたが、そのMCも、今聞くと、時代を感じさせないというか、逆に良い感じ。

普通、流行のものって、その時はかっこいいけど、時が過ぎると、かっこ悪くなったりしますよね。というか、それが普通ですよね。

でも、解散ライブの時のジュディマリはある種の普遍性というか、今、12年経った今も「強い」。当時はその「強さ」がダメに感じたんですが、いやいや、自分が子供でした。

感傷的(センチメンタル)な雰囲気もジュディマリには不可欠な要素でしたが、その裏にあるパワフルさというか、まあ、アルバムタイトルに引っ掛ければ「パワーの源」(the power source)がバンド内にあるということが、ジュディマリの最大の武器だったのかもしれません。

全然、刹那的ではない。むしろ、普遍的とすら言えます。勿論、ジュディマリの特徴として、「普遍的」とか言われるを巧く回避して、キッチュでポップな雰囲気に必ず落とし込むところが、このバンドの真に優れたところですが。


...とか、あれこれ色々考えて、ジュディマリの映像を漁っていたわけです。そして、98年頃のライブ映像を観ると、やっぱり良い!こっちの時期のほうが生き生きしてていい!


結局、どっちやねん...みたいな感じなのですが、まあ、それだけ時代と共に歩いてきて、その変化をリアルタイムで体験させてくれたバンドです。


「歌詞が観念的になる」という現象は、実は90年代のバンドが00年代を迎える時に、同時に起きたことなんですよね。正確に言えば、1998-99年くらいでしょうか。

「強くならなきゃ」という、そんな不思議な切迫感が、90年代のJ-POPシーンの崩壊を導いていった気がします。

それが良い事なのか悪い事なのか分かりませんが、「繊細さ」「日常性」が抜けて「強さ」「精神性」へとなぜか向かっていった。そして、それらのバンドの多くは、2000-2001年頃に一斉に解散するんですよね。彼らは21世紀を乗り越えられなかったとも言えますが、1997年までがあまりに特殊な環境だったとも言えるでしょう。

ターニングポイントとなった、各バンドの作品も言えるほどです。それほど、明確な変化がそれぞれのバンドにありました。
はっきり変化を示した作品を挙げれば、

スピッツなら『渚』(1996)『スカーレット』(1997)
Judy and Mary 『散歩道』(1998)『ミュージック ファイター』(1998)
The Yellow Monkey 『My Winding Road』(1998)
エレファントカシマシ『今宵の月のように』(1997)
Blankey Jet City『Sweet Days』(1998)
Thee Michelle Gun Elephant『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』(2000)

ミッシェルは、時期が遅いですが、(そしてスピッツは時期が一足早いですね。時代に敏感なのでしょうか、そしてスピッツは解散してませんね..その辺にスピッツの魅力がある気もします..)

「1998年」というのは、何か90年代J-POPにとって大きなターニングポイントだった気がします。
逆に言うと、細かく言えば1995-1997の三年間。
この間は奇跡的な時間が流れていた期間だった気がします。J-POPと大衆が完全にリンクしてた。音楽が自分自身でもあった。まさに文字通りの日本のポピュラーミュージック(大衆音楽) =「J-POP」が体現されていました。セールス的にも楽曲の質そのものと結びついていた。人気があるから買うのではなく、曲が良いから買っていた。人気があっても曲が良くなければあまり売れなかった。

そして、繰り返しになりますが、彼らは「知る人ぞ知る」アンダーグラウンドな存在ではなかった。ジュディマリとか『そばかす』で紅白(1996)に出場してましたからね。カルチャーの表面にきちんと出ていて、音楽を好きな人なら誰でも知っていて、聴いていた。

この1995-1997に何が起きていたのか。興味があります。
もう年月が過ぎたので、客観的に振り返れる時期が来たのかもしれません。当時は自分は14歳〜16歳で、思春期のど真ん中で、客観的に振り返ることはこれまで難しかった。
だいたい、思春期に聴いた曲とかカルチャーを人は美化したがるものですから。自分も、多少は美化しているのでしょう。でも、それでもあの時代は不思議だと、今でもふと思います。

なんだったんでしょう、あの時代は。そして、1998年を境とする「J-POPの崩壊」は何を意味したのか、または何に影響されたものなのでしょうか。
分析できたら、興味深い結果が出そうな予感がします。