今年するべき大きな仕事は終わって、寝てばかりいます。
安堵感..
本当は論集に乗せる原稿を書かなければいけないんだけど、締切が2月14日..。まだ先..と思ってたら間に合わなくなるパターンですね。
芸術学の大学院生が作る論集で、そこそこ質の高い文章(引用とかしっかりしてる感じの)を掲載しなければいけないので、準備しなければ。
文字数も1万2000字と、多いのか少ないのかよく分からない感じですが、引用とかきちっとすると、時間かかるんだろうなぁ。記録に残るし。
暇なので、ちょっとツイッターに書いたけど、90年代のJ-POPの話を。
ニコ生で JUDY AND MARY の解散コンサートを放送してて、ジュディマリ熱が再燃したわけです。
正直、あまりあの解散コンサートは好きではなかったんです。それというのも、実は自分はジュディマリの結構なファンで、それまでの流れで色々感じてきたからです。
特にYUKIちゃん(「YUKIちゃん」と書くと気持ち悪いかもしれないですけど、「YUKIちゃん」は「YUKIちゃん」ですよね。「YUKIさん」だとファンって感じがしなくてよそよそしいし、「YUKI」だと呼び捨てで失礼な感じがするし..。もうちょっと世代が上の人が、松田聖子さんを「聖子ちゃん」と呼ぶのと同じ感じでしょう。永遠のアイドルですからね。)
YUKIちゃんの変化が大きいのではないかと思います。『The Power Souce』 (1997)というアルバムが絶頂だった気がします。
というのは、YUKIちゃんの日記本みたいなのにも書いてあったけど、『POP LIFE』(1998)のレコーディングがロンドンで行なわれたのですが、YUKIちゃんはホームシックというか、メンタル的に弱ってしまったということが書いてありました。「涙が止まらない」状態だったとか。。
大変ですね。。その影響か、たぶんその影響ですけど、『POP LIFE』は「いかに強くなるか」みたいな歌詞が多い気がします。あと、少し観念的な言葉が多いですよね。
顕著なのは、『ミュージック ファイター』(1998)。
『あたしのライフワーク大地に響け/荒れ果てた大地に花を/強い笑顔を』
という歌詞を聴いた時は「えっ!?」と思いました。個人的な感覚ですが。
それまでは、YUKIちゃんは日常のささいな恋話を歌ったり、ちょっとした心情とか、日常のディテイルを描くのがすごく巧かった気がします。天才的と言っていいほど。
一番有名な曲『Over Drive』(1995)でも、
サビの始めの、『走る雲の影を飛び越えるわ』という所がすごく好きです。
そうそう、雲って地面に影を作るよね。それを飛び越える感じ、その体感的な感じの、青春のスピード感というか、わかるわぁ..という身近な感じというか。(ほかに、もっと良い歌詞もこの時期のジュディマリには、いっぱいあります)
『The Power Source』まではYUKIちゃんの詩はキレキレでしたね。特に、『ラブリーベイベー』の
『まきまきまんめい/もきゅめんめい/まきめきめきめきめき/まめまっきょめきゅまめい』
という歌詞は衝撃的でした。最後の『めきゅまめ〜い!』が可愛いですよね。
それが『ミュージック ファイター』では、「荒れ果てた大地」が出てきて「花を」と言う。曲としては凄く好きなのですが、YUKIちゃんが強くなろうとしてる..と少し寂しい気もしました。「弱い」YUKIちゃんが好きなわけではないのですが、こう、多少「無理して」強くなろうとしている感じを受けて、それが詩に表れていて、なんとなく寂しくなったわけです。(あの曲自体は凄いけど)
そう言えばその前のシングルの『散歩道』からそういう気配はしてました。
前と同じ言葉を使ってるんだけど、YUKIちゃんの観察眼というよりも、精神性というか、「こうあらねば」みたいな気持ちが詩に出て来た気がして、「これはどうなるのかな..」と思っていました。
その後、ジュディマリは一回、活動を休止するんですよね。
それは必然だったと思います。
その後の展開については、色々、深いものがあるので一概には語れません。
ジュディマリが復活した!とは思わなかったけど、強くなった!とは思いました。
そして、なんというか別のバンドになった気がします。
個人的な勝手なイメージ(自由奔放なYUKIちゃんとポップなガチャガチャした楽しいバンド)からは離れていきましたが。
活動再開、第一弾の『Brand new wave upper ground』(2000)というシングルは、まだ迷走中な気がしましたが、
その後のシングル『ひとつだけ』(2000)は個人的に感動的でした。もうそこには子供のYUKIちゃんはいなくて、大人の、現実を真っ正面から歌うYUKIちゃんがいました。
そして、そこに再びリアリティが復活したのです。もう、『ラブリーベイベー』みたいな「キッチュ全開!」という場から遠く離れて、
再び自分のリアリティを生み出し始めた気がします。曲構成も、「二回サビがある」と言ったらいいのか、TAKUYAさんの才能が無駄とも言えるほど、発揮されてて、一曲に2,3曲詰め込んだんじゃないかって位、凝った構成。それなのに、聴き易い。詩にもあってる。
だから、ラストアルバム『WARP』(2001)は、一概に何も言えないのです。
確かに、1995年から1997年の、 Over Drive から、ドキドキ、そばかす、クラシック、くじら12号、ラブリーベイベー、Lover soul 、までたった二年間の間にこれだけの質のシングルを連発してた頃のジュディマリには、一種の無敵感と、刹那感があって、ほんとに魅力的だった。
YUKIちゃんも、弱い部分を見せながらも、どんどん成長していって、詩にも磨きがかかり、バンドとしての勢いも凄まじい期間でした。
でも、それは長続きはしませんよね。そういうタイムは。
「その後に何をするか」これは、ジュディマリに限らず、90年代後半に絶頂を迎えた多くのバンドに共通の課題だったと思います。
それで、ジュディマリは、少々無骨ながらも『WARP』というアルバムで回答を出して、解散した。『WARP』も、過去のジュディマリのイメージの焼き直しだったり、YUKIの声がバンドサウンドに微妙にマッチしていなかったり..色々、たしかにあります。
でも、ひとつの回答は出した。
それで、『WARP』の最後の曲(12曲目)に『ひとつだけ』が入っている。
これは、歌詞など分析したいところですが、それも野暮なのでやめておきます。とても気持ちの入っている曲、そして歌詞とだけ言っておきます。それ以上は言えない何かが、この曲にはありますよね。神聖さというか、もう、Judy and Mary が Judy and Mary のために作った最後の曲というか。。何と言えばいいんでしょう。私はこの曲は後期ジュディマリではすごく好きです。
とは言え、やっぱり、『そばかす』(1996)の頃のジュディマリは良かったなぁ..とか少し思ってしまいます。ラジオで「YUKIのオールナイトニッポン」というのがあって、毎週聴いてたんですよね。その中で、「数字とか順位は気にしませんけど..」と言い訳しつつ「そばかす、オリコン1位です!」と嬉しそうに発表していたYUKIちゃんは微笑ましかった (遠い目)
でも、ここで終わらないのです。
一昨日(?)くらいにニコ生でジュディマリの解散ライブを観て、もうその映像は観たことがあったのだけれど、もう一度観ようかなと思って観たのです。
勿論、YUKIちゃんの歌い方が、昔とは変わっていて少し寂しかった記憶とか、色々知った上で観ました。
そしたら、すごく良かった!
サウンドが強い。洋楽を聴いてるような、バランスの取れたズッシリしたサウンド。そして、10年くらい前の自分は多少がっかりしていたYUKIちゃんの声が、逆にすごく良い!
この声(YUKIちゃんは一度、喉を痛めて手術をしていて、声が変わったというのもありましたが)より昔のほうが良かった..と思っていたけど、今聴いたら、こっちのほうが良い!
MCも変な英語口調で、当時は「YUKIちゃん、普通に喋ればいいのに..」などと密かに思っていましたが、そのMCも、今聞くと、時代を感じさせないというか、逆に良い感じ。
普通、流行のものって、その時はかっこいいけど、時が過ぎると、かっこ悪くなったりしますよね。というか、それが普通ですよね。
でも、解散ライブの時のジュディマリはある種の普遍性というか、今、12年経った今も「強い」。当時はその「強さ」がダメに感じたんですが、いやいや、自分が子供でした。
感傷的(センチメンタル)な雰囲気もジュディマリには不可欠な要素でしたが、その裏にあるパワフルさというか、まあ、アルバムタイトルに引っ掛ければ「パワーの源」(the power source)がバンド内にあるということが、ジュディマリの最大の武器だったのかもしれません。
全然、刹那的ではない。むしろ、普遍的とすら言えます。勿論、ジュディマリの特徴として、「普遍的」とか言われるを巧く回避して、キッチュでポップな雰囲気に必ず落とし込むところが、このバンドの真に優れたところですが。
...とか、あれこれ色々考えて、ジュディマリの映像を漁っていたわけです。そして、98年頃のライブ映像を観ると、やっぱり良い!こっちの時期のほうが生き生きしてていい!
結局、どっちやねん...みたいな感じなのですが、まあ、それだけ時代と共に歩いてきて、その変化をリアルタイムで体験させてくれたバンドです。
「歌詞が観念的になる」という現象は、実は90年代のバンドが00年代を迎える時に、同時に起きたことなんですよね。正確に言えば、1998-99年くらいでしょうか。
「強くならなきゃ」という、そんな不思議な切迫感が、90年代のJ-POPシーンの崩壊を導いていった気がします。
それが良い事なのか悪い事なのか分かりませんが、「繊細さ」「日常性」が抜けて「強さ」「精神性」へとなぜか向かっていった。そして、それらのバンドの多くは、2000-2001年頃に一斉に解散するんですよね。彼らは21世紀を乗り越えられなかったとも言えますが、1997年までがあまりに特殊な環境だったとも言えるでしょう。
ターニングポイントとなった、各バンドの作品も言えるほどです。それほど、明確な変化がそれぞれのバンドにありました。
はっきり変化を示した作品を挙げれば、
スピッツなら『渚』(1996)『スカーレット』(1997)
Judy and Mary 『散歩道』(1998)『ミュージック ファイター』(1998)
The Yellow Monkey 『My Winding Road』(1998)
エレファントカシマシ『今宵の月のように』(1997)
Blankey Jet City『Sweet Days』(1998)
Thee Michelle Gun Elephant『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』(2000)
ミッシェルは、時期が遅いですが、(そしてスピッツは時期が一足早いですね。時代に敏感なのでしょうか、そしてスピッツは解散してませんね..その辺にスピッツの魅力がある気もします..)
「1998年」というのは、何か90年代J-POPにとって大きなターニングポイントだった気がします。
逆に言うと、細かく言えば1995-1997の三年間。
この間は奇跡的な時間が流れていた期間だった気がします。J-POPと大衆が完全にリンクしてた。音楽が自分自身でもあった。まさに文字通りの日本のポピュラーミュージック(大衆音楽) =「J-POP」が体現されていました。セールス的にも楽曲の質そのものと結びついていた。人気があるから買うのではなく、曲が良いから買っていた。人気があっても曲が良くなければあまり売れなかった。
そして、繰り返しになりますが、彼らは「知る人ぞ知る」アンダーグラウンドな存在ではなかった。ジュディマリとか『そばかす』で紅白(1996)に出場してましたからね。カルチャーの表面にきちんと出ていて、音楽を好きな人なら誰でも知っていて、聴いていた。
この1995-1997に何が起きていたのか。興味があります。
もう年月が過ぎたので、客観的に振り返れる時期が来たのかもしれません。当時は自分は14歳〜16歳で、思春期のど真ん中で、客観的に振り返ることはこれまで難しかった。
だいたい、思春期に聴いた曲とかカルチャーを人は美化したがるものですから。自分も、多少は美化しているのでしょう。でも、それでもあの時代は不思議だと、今でもふと思います。
なんだったんでしょう、あの時代は。そして、1998年を境とする「J-POPの崩壊」は何を意味したのか、または何に影響されたものなのでしょうか。
分析できたら、興味深い結果が出そうな予感がします。
こんばんは。
返信削除「もきゅまんめい」で検索してこちらのブログにたどり着いた、都市の研究をしている大学院生です。
さて、すごく興味深く読ませていただきました。
長くなりますが、コメントさせてくださいませ。
私はYUKIちゃんが大好きです。
中学生の時テレビで観たプリズム・高校生で買ったJOYではまりました。jamは過去に遡って聴き込みました。
触れた時代が違うと思いや視点も異なるなぁと感じながら読ませて頂きました。
というのも、私にとってのYUKIちゃんは初めから大人の女性で、尊敬の対象なんです。
10代・20代の彼女は、エッセイやアルバムで触れて、こんなことあったんだ、その頃はこんな歌を歌ってたんだ。その上で今の彼女があるんだ、と。
時代が変わっても、どんなことがあっても、向き合って、媚びずに変わって、今もあんな風に歌って、あんな風に笑って、綺麗でかわいくて。20年間、これだけの戦いをしてきた一人の女性として、心底尊敬しています。こんな姿勢で生きて、こんな姿勢で40歳を迎えたい、と思います、恐れ多くも。
それはおそらく、90年代にjamが皆を惹きつけたのとは異なる、非常に個人的な「好き」なんだろうと思います。
みんなの憧れのYUKIちゃんじゃなくて、個人的に尊敬し自省する、自分にフィットする歌い手としての。
(私と同年代の他のファンがどうかはわかりませんが^^;)
2000年まで小学生だった私にとっても、90年代のヒットソングは魅力的で、パワフルだったり本気で切なかったりするんですが、それでも思うのが、「同じ曲が今登場しても同じようにヒットしないんだろうな」と。
CDが配信に変わったとか関係なく、今、それらの曲に「誰もが」熱狂している姿を全く想像できないのです。
普遍的な名曲でさえも、かつてのように「大衆に愛される」ことはなく、今は「個人的に愛する人がたくさん出現する」形でヒットするんだろうなと。
人の求めるものは変わったし、求め方、愛し方も変わった。
90年代のことはわかりませんが、ひょっとしたら、1998-99年は「過渡期」だったのではないかなと思います。
だとしたら、音楽シーンのトップに君臨していたミュージシャンの方々は、その変化を感じていたはず。そして対応に迫られていたはず。それが楽曲の変化に繋がったと考えることもできるのかなと。(対応して変化したYUKIちゃんは今も人気を博している。2010年代に入ってからは、テクノポップすらかっこよく取り入れて。)
では1998-99「以前」と「今」、何が違うのか。
私見や偏見の入った仮説になりますが、聞いてやってください。
1つは、「満足」「好き」の多様化。
皆「自分の」お気に入りを求めている。「皆で1つのものに」熱狂する、という現象にあまり興味がないし信じていない。(だからこそAKBが流行る)
背景にあるのは、経済成長が終焉して、成功体験のセオリーも、日本が一丸となって向かうベクトルも、魅力が無くなったこと。それは不可逆的な変化で、イレギュラーはむしろ好景気だった頃の方だと20代以下の世代が思っていること。だから皆で同じものを追うことよりも自分なりの満足を見つける方が魅力的だと。
20代以下の嗜好が「流行」に大きく影響するなら、音楽シーンはもろに影響を受けているかもしれない。
もう1つは、情報化などコミュニケーションツールの変化。
ミュージシャンがブログを書き、スタッフがメルマガを配信し、ちょっと気になったら検索すれば生い立ちからPVまで閲覧でき、バンドによってはYoustreamで楽曲を録り、メインのコミュニケーションはライブでのやり取り。皆、理想像としてのスターではなく、よりリアルでより等身大の「人間」たることをミュージシャンに求めているし、ミュージシャン側もそれに応えている。
とまぁ、頭でっかちのゆとり世代は思うのです。
(我々をゆとりたらしめているのも、上記2つじゃないかなと勝手に思っています。指導要領なんかじゃなく。)
ちなみに我が家には1991年・1993年生まれの妹が2人いて、2人ともメアドにジュディマリの歌詞を入れている惚れ込みようです。このあたりにもjamのかっこよさ、色褪せなさを感じます。
特に93年生まれの妹はjamフリークで、デビュー~オレンジサンシャインが特に好きみたいです。
彼女の「好き」と、当時のリアルタイムの「好き」、同じなのか、違うのか、比較できたら面白いかもなと思いました。
長々と失礼しましたm(_ _)m
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
返信削除>minamiさん
返信削除いえいえ、コメントありがとうございます!
全然、大歓迎です!
単純にアクセス数の少ないブログですので、コメントがあったことに驚いています(笑)
改めてお返事します!
よかった、ありがとうございます!お待ちしてます(*^ ^*)
削除このコメントはブログの管理者によって削除されました。
削除minmaiさん
削除色々、考えましたが、分かりませんでした..
>1つは、「満足」「好き」の多様化。
>皆「自分の」お気に入りを求めている。「皆で1つのものに」熱狂する、
>という現象にあまり興味がないし信じていない。
それは確かだと思います。ポストモダニズムの言説で言われるように、
「大きな物語から小さな物語へ」「島宇宙化」という現象は起きたと思います。
しかし、それが「1997-98」だったという実感は正直、自分にはないのです。
バブルがはじけたのは1990〜1991年頃で、1997年にはすでに「不況」と言われるのが当たり前になっていました。
minmaiさんが仰るように、「好景気だったことはむしろイレギュラー」ではないか、という認識は
私の世代も共有しています。物心ついた時には、既に景気が悪かったので、
「あの頃は景気が良かった」という思い出もありません。
「景気が悪くて当たり前。むしろ好景気ってどういう感じか分からない」というフィーリングは私の世代も共通してあります。
また、「一つのことに熱狂せず、個人の好みが問題になる」という現象も私の世代で起きていました。
ちょうど、1996年ぐらいでしょうか。盛んにそういう内容の言説も言われていました。
ただ、違うのはそのような言説が「言われ始めた」のが90年代中期。
そのような言説が「言われ尽くされたのが」00年代以降。
たしかに、90年代後期は過渡期だったのです。
それは、「もうみんなで一つのことに熱狂することもないし、個人の好みの問題だよね」
という共通認識が出来あがって、雰囲気として共有され始めた時、
「何が起きたか」だったのかもしれません。
例えば、90年代後期を代表するアーティストとして、「フィッシュマンズ」が挙げられると思いますが、非常に内向的な歌を歌っています。みんなで共有するために作られた歌では少なくともない。結果的に多くの共感を呼びましたが、それは極めて私的な「静かな共感」でした。
逆に、ジュディマリは「ヒットするために作られた」バンドです。
メンバー自身も「売れなければ意味が無い」と言っています。また、後に中心となるTAKUYAも、オーディションで選ばれたメンバーです。友達付き合いの延長ではありません。
そして、ジュディマリは当時の、バンドが嫌がったテレビにも、積極的に出た特異なバンドです。
これまでに挙げたバンドの多くはテレビには出ませんでした。(その現象は今でも続いています)
ジュディマリは、「いったんバラバラに成りかけた世界を、どうやって繋ぎ止めるか」
また、「個人の趣味を超えて、再び熱狂を生み出すにはどうすれば良いか」
という問題意識で、時代に立ち向かった、当時の数少ないバンドだと思います。
その結果出て来たのが、「大衆に分かり易く迎合するでもない、でもポップで売れ線」という
非常に奇妙なものでした。
ボーカルラインはシンプルなのに、リズムがものすごく複雑だったり、コード進行が複雑だったり。
その結果として、ジュディマリは「ポップ」の意味を再定義したのだと思います。
つまり、旧来のように「大衆迎合的=ポップ」ではなく、
「内容は好きな事をやっていても、売れたもの=ポップ」という、逆説を導き出したのだと思います。
これは、「一つのことに熱狂しなくなった世界」に対する挑戦です。
「音楽的精度は下げずに、それでも売れたい(大衆に受け入れられたい)」。それにはどうするか。
それが、1997年代あたりの最大の課題で、ジュディマリは一つの答えを出した気がします。
それはおそらく『The Power Source』(1997)でしょう。
その頃、TAKUYAは『聴き手が"くじら12号"のような分かり易い曲でないと、理解できないようでは困る』というような発言をインタビュー(ロッキンオンジャパン)でしています。
分かり易さと、音楽としての実験性、両方を理解して欲しい、という意味の発言です。
ただ、音楽としての大衆性と実験性が同居していた、絶妙なバランスは、すぐに崩れました。
ジュディマリに限らず、多くのバンドがそのバランスを崩しました。
おそらく、「大衆性」を求めていたことが要因だと思います。
自分の趣味だけを求めていれば、そう簡単にバランスを崩しません。(スピッツはその素質を持っている気がします)
90年代後半のバンドは、やはりどこかで「みんなに共有される」という幻想を持っていたのかもしれません。
しかも、その(バブル崩壊以前の)幻想の燃えカスを、再燃させるという、不可能に近い挑戦をしていたのかもしれません。
そして、それは失敗に終わりました。
そう考えると、やはり「バブル崩壊」「音楽の個人化」に対する反逆で、
数多くのバンドが90年代後半に生まれ、とてつもないエネルギーを発し、
あっというまにバランスを崩し、解散した。
と説明することはできます。
ただ、今のYUKIちゃんのように、ものすごいバランス感覚で乗り切ったアーティストもいます。
YUKIちゃんの場合は、90年代後半から既に独自の路線を歩んでいた「真心ブラザーズ」(後にメンバーの倉持さん(YO-KING)はYUKIちゃんの夫となりますが)の影響がかなりあり、
もともと00年代を生き抜くポテンシャルを持っていた真心ブラザーズ(YO-KINGさん)の強さを敏感に見抜き、
共に00年代を乗り越えたというのが大きな印象です。
真心は、90年代後半には、既に強烈なメッセージソングを歌っており、『I will survive』(私は生き残る)というアルバムをリリースしています(YUKIちゃんが真心の倉持さんと結婚する前の話です)。
そのあたりでシフトチェンジできたかどうか、も大きな要素ではありそうです。
よく分からない文章になってしまいましたが(特に後半。私は90年代末、「真心ブラザーズ」の大ファンでもあったので)
結論を言えば、「みんながバラバラになる時に、どのような音楽で繋ぎ止めようとしたか」(1995-97)
「そして、繋ぎ止める為の"強さ"が、形骸化していった過程→解散」(1998-2001)
これがジュディマリの歩んだ道だという感じです。
(後者の「繋ぎ止める為の"強さ"が形骸化していった」ことについては、
ここでは十分に語れていませんが、自分の中で整理ができたら、またどこかで書こうと思います)
なにげなくJUDY AND MARYについて検索していて、偶然こちらを拝見しました。
返信削除今まで読んだJAMについて書かれている文章で、最もしっくり来ました。
同じようなことを感じていたもので。
ある意味ではYUKIの成長を見ていたのだと。
自分もその時高校生で、J-POPはさほど聴いていませんでしたが、国内外ともにあの90年代中期以降の空気感が懐かしいです。