2011/12/28

メモ(ポップとは何か -原点から考えなおす-)

もはや、ただのメモ帳になっていますが、今、見たら誰かが読んでる...

検索でひっかかってしまったのか、分かりませんが一時的にアクセス件数が
増えるのが謎ですが、そこはすいません。

このブログは未完成で、2012年夏頃に、体裁と整える予定。
ちなみに、プロフィール写真は、原稿依頼の仕事が来ますように!と思って、「仕事できそうな人」「気鋭の批評家」っぽく、写真の色彩を加工したものです。
勿論、本人ですが。仕事下さい。来年になったらでいいので..。

ということで、今はメモ帳変わりに使います。

(話が飛びます)

そもそも、アンディ・ウォーホルを研究している私ですが、一番、分かり易い問いは「アンディ・ウォーホルの美術史学上の位置づけ」というよりも、「ポップとは何か」という問いです。

「ポップとは何か」「ポップアートとは何か」。難しいと思いませんか。
ポップアートは、時代区分で、一応、整理されていますが、それはあまり本質的ではありません。

イギリス発祥、リチャード・ハミルトンがその最初期のアーティストというのは、事実でしょう。

ずっと、考えているのは、そのハミルトン「以降」の「ポップ」という概念です。

例えば、村上隆はポップアーティスト?
色彩、モチーフから言えば、ポップアーティストとカテゴライズされますが、けっこう曖昧なのが現状です。村上隆自身の作風も変化してきていますし、一概に言えません。

ただ、これはめも帳なので、主観的に書かせて頂きますが、「ポップ」とは非常に感覚的なカテゴライズの仕方です。
そして、私なりの「ポップ」という概念は、実は厳密に存在する。

例えば、美術史学を学んでいる私が言うのも何ですが、
ポップアーティストとして、認識されている、リキテンスタイン。
彼は、「ポップアーティスト」なのかもしれませんが、「ポップ」ではありません。

「ポップ」という、非常に感覚的な概念なのですが、私にとって、彼はその範疇外です。

「ポップアーティスト=ポップの感覚を持つ人」ではないということです。ややこしいですね。

ほかにも、ネオ・ダダともポップアートとも呼ばれる、ラウシェンバーグ、(ジャスパー)ジョーンズも、ポップではありません。

もう、感覚的ですね。
ただ、面白いのは、けっこう、その感覚性は、共有可能なものなのです。例えば、教授との世間話でも、ふっと共有できる「ポップ」に対する感覚がある。美術と全く関係ない人とでも、同様にふっと共有できる。それが「ポップ」という感覚の謎です。

とりあえず、手当たり次第、「自分が」ポップだと思うアーティスト(ジャンル問わない)、モノを挙げていきます。

横尾忠則/会田誠/ゲルハルト・リヒター/ビョーク/iPhone/アンディ・ウォーホル/JR/東浩紀/記号学/カート・コバーン...

あんまり、ないな...

デュシャンは深刻すぎるし、ロラン・バルトは頭が良過ぎる、宮台真司は悩み過ぎ、ダ・ヴィンチは深すぎ、ベーコンは美術の歴史を踏まえ過ぎ、構造主義は全体を説明し過ぎ、モネは色彩が...

おしい!という人やモノは多いけど、「ポップ」まで辿り着くのは、なかなか難しいようです。(「ようです」って何だ)

基本的な、ポップの条件を、今、選びながら考えていたら、いくつかキーワードが出てきました。

・深刻さをアピールしない
・楽しいのが前提
・主体がない、「私」を押し出さない
・社会との繋がり重視
・感情が不透明、もしくは見えにくい、もしくは無い
・浮遊
・「ポップ」であるフリをしない(自然にポップになってしまっている)


小説家とかどうでしょうね。夏目漱石はかなりポップな感じがする。太宰治も。
最近の作家は...う〜ん、深みを求めないという意味では、なかなか誰も当てはまらない。
川上弘美とか、すれすれなんだけど...
綿矢りさとかね..おしいんだけど違う...

直木賞系は、あれはポップとは言いません。ポップには、「ある程度」の深刻な深みが必要なのです。軽くてもいけないし、深刻でもだめ。

絵画に関しては、みんな結構、深刻ですからね。悩んでなんぼ、みたいなのもいるし、
天然で、創っちゃう人もいるけど、
どちらも、ポップかと言うと、そうではない。

リヒターくらいのレベルになると、ポップと言える。
要は、開けてるんですよ。全体に対して、何もかもに対して。それがポップの条件かなぁ。

なんでしょうね。
ポップとは「ふわふわ系」である。
こう言ったら、一番しっくり来るんだけど、これは個人的な語感の問題か...。

「ふわふわ」って何なんだ。。形が変えられるってことか..。
あ、これヒントだな...

政治と無関係というのも、一つの条件かもね。いや、これはイメージで、リヒターなんて、バリバリに政治犯を取り上げた絵画作ってたりするんですけど、そういった意味ではないんだなぁ..。もっと、こう、ね、もう一歩、引いた所から見た時のイメージです。

iPhoneはポップだよね。間違いなく。アプリ入れられて、汎用性が拡大可能なところも。あと、形。それと、あのすべすべした、そっけないカルフォルニア感...。

そう言えば、(この話、こんな長くなるとは思わなかった)
前回の論文で、デッドエンド(行き止まり)について書いたんですよ。このブログにもあるけど。誰も読んでないけどね!(読んだ人数の統計データ見たら悲しい...まあ、文字も小さいし分かりますけどね...)
行き止まり、つまり、「どこにも行けない閉塞感」と、それと裏返しの「どこにも行かなくてよい安堵感」。それが、ポップの本質なんじゃないかと。そう思ったわけです。

うん、我ながらいい線いってるよ。もっと、がんばろうよ。やればできるよ。

去年の頭の冴え具合はどこいったんだよ。

メモだと言いたい放題だな..ツイッターだと、文字制限あるし、読まれてる!っていう恐怖もあるから、それなりに考え、まとめやすいんだけどね。

でも、世間体とかあるし、ツイッターはなかなか不自由になって参りました。その点、未だに下ネタを書き続けている岡村先生はえらい。あれ、そのうち、またクビになるよね。その覚悟でやってるんだとしたら凄いけど、明らかに天然なので、まあ、そこが面白いとこです。。

何の話だ..。

そう、デッドエンド=「ポップ」という発想だ。
そうそう、諦めに近いけど、そこから出発する。それがポップ。

諦めって言うのは、これも論文に書いたけど、誰も読んでくれないから、あえて、もう一度書くと、コミュニケーション不可能状態のことです。

専門用語は避けたいけど、共通するコード(「ああ、あれね」っていう感じ)が、無い状態。
「えっ、何しゃべってんの?」という感じか、「なるほど、わからん」みたいな感じですね。
説明するのめんどくさいや。

一瞬、これ、誰か読んだらどうしよう、っていう恐怖に襲われかけたけど、そんなの気にしてたら、なんもできないわ。

今、”ポップとは何か -原点から考えなおす-”って、最初に付けた立派なタイトル見て、この迷走っぷりに自分でもびっくりした。

どうでもいいけど、今、よくツイッターで会話してる、井崎さんっていう多摩美院生の方がいるんだけど、彼女は本江先生の教え子として、共通の境遇なんだけど、あの人も、めっちゃつぶやくよね。面白いし。でも、実際会った時は、そんな饒舌なイメージなかった。
おしゃべりな人は、頭悪い、みたいな先入観があるかもしれませんけど、私はそんなことはないと思います。
とりあえず、井崎さんは、めっちゃ、言葉にする(しかも、どうでもいいことから、哲学的な悩みまで全部つぶやく)、あれは本江先生の元に集まる人の共通項かもしれないですね。

本江ゼミの人も、ゼミ終わった後とか、めちゃくちゃ喋りますよ。言葉が止まんないみたいな。あれは良い事だと思って見ています。

もう、終わりにしようか。ちょっと、ダレてきましたね。

これ、公開するのかな。公開したら、誰か読むのかな。今、ここで最後に書くのもトラップっぽくていいけど、何の価値もありませんよ、残念ながら、これを読んだあなた。

メモですから。

1 件のコメント:

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