2011/12/12

【音楽】神聖かまってちゃん "ぺんてる"

明日、神聖かまってちゃんのライブに行ってきます。

神聖かまってちゃんの魅力は、一言で言えば「直接性」。

すぐそこで、本気で叫んでいるものを、私は無視することができません。
それも、自己陶酔ではなく、むしろ、自分のリアルタイムを執拗なまでに探求し、吐き出すこと。

これは、いわゆる中二病とは言いません。

なぜなら、中二病とは、自分自身と向き合うことから逃れる手段だからです。
私はそれを否定するつもりはありません。誰しもが、自分自身と向き合うようになるまでに、
「ほかの誰かになろうとしたり」「自分の現在を否定したり」「極度に理想化された自己水準を設定し、失敗したり」「他者を必要以上に怖がったり」するものです。

でも、神聖かまってちゃんは、一見、「ここではないどこか」を 探しているようで、そうではありません。

何かに憧れること、それが得られないこと、でも欲しがってしまうこと、失われた過去にしがみついてしまうこと。
それらを、全て「今」として、受け入れています。

の子さんは、"ぺんてる"の歌詞で、こう語りかけます。

"僕は大人になりました 冷たい風に吹かれて どうしようもない大人になりました"

これは、皮肉でもなんでもありません。本当に、大人になって事実を歌っているのです。
それに畳み掛けるように、こう続けます。

"ジャポニカ学習ノートのページがどんどんめくれてく 僕が学んだことなんて 風の中へと消えていく あーもうどうするか あーもう知らねぇぞ 僕は"

過去への郷愁を語りながら、もう戻れないことを悟りきっている。
そして、懐古的になるでもなく、諦めるでもなく、ただ「狂う」。このリアリティ。

しかし、
"風に吹かれてしまおう 落ち葉のようになれ果てよう"
と告白しつつ、

"考えて生きて生きてくような価値なんてどこにあるんだと僕は思うのです"
と、唐突に、大人になった現在も「変わっていない」「変わらない」価値観を述べる。
もはや、これは郷愁ではありません。現在の、「狂ってるけど、本当の言葉」。

"放課後から続く蛙道 どーでもいいやとほざきつつ どこまでもどこまでも生きたいと 願っているのかよ"
これほど正直で、ポジティブな歌詞を私は知りません。
過去を振り返り嘆く自分を突き放し、何度も「現在」に立ち返ろうとする。
あまりにも、リアルな歌詞です。

"殺してやると呟いて 頭を下げて謝った 僕はいつまでも そんな糞ゲロ野郎でさ"
ここで、過去と今の自分は、たとえ「大人になった」としても、繋がっている。繋がらざるを得ない。過去の自分からも、今の自分からも逃れようがない。その事実を確認しつつ、主人公は、「今」発言しています。感動的な言葉です。

ラストは
"また、ぺんてるにぺんてるに"
の繰り返しでこの歌は終わりを迎えます。
この主人公は、「ぺんてるにもう一度行けば、救われる」とは思っていません。
でも、「ぺんてるに行きたい」というのも本音。
つまり、主人公の本当の本音は
「どうすることもできないかもしれない。よく分からない。僕は、今を生きるしかない。それは変えることができない。でもどうすればいいのか分からない。過去に戻りたい。でも、今を生きるしかない..」という、「無限ループの、狂った生き方」です。

でも、そこに私はリアリティを感じるのです。
直接、私の「今」を刺激するのです。

名曲だと、思います。

というわけで、もう言い訳が効かないほど「大人になった」自分(30)は、神聖かまってちゃんを、明日、聴きに行きます。

「大人になること」
その、狂ったリアリティを、正面から、きちんと受け止めてきたいと思います。

神聖かまってちゃん "ぺんてる" PV (Youtube)

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